天国実現のための最高の原理

「家庭教会の摂理は、旧約、新約、そして成約における天国実現のための最高の原理であり、最大の収穫です。なぜなら家庭教会を通して、あなた方が最高の愛と真理の教育を実践することができるからです。なぜ家庭教会を行うのかわかりましたね。それは人々に対する教育と愛のためです。人々を啓発し、天国へ導くためです。」

家庭教会と天国完成 1979.1/1

 

「天国」とはどのようなところなのか・・・

人生経験が長くなってくれば、自分の「天国」観は変化してくるように思います。10代、20代のころは、自分の好きなことがやりたい放題にできる世界だと考えていました。ところが、だんだんと「自分」の好きなこと、やりたいことが即座に実現してしまうと、さらに新しい欲が生まれ出て、それが実現されると次に・・・と次々とやりたいことが生まれてくるものの、もしも天国がそういう欲求がいともたやすく実現されてしまう世界であるなら、きっと「物足りなさ」を感じずにいられなくなるであろうことに気付くようになります。

やがて自分が他との関わり、すなわち「自分とは別の個性を持った第三者」との関係の中で四苦八苦しながらも理想を実現したいというものが生まれてきます。

また、若き頃はとかく形あるものを欲しがりました。ところが段々と目に見えるものから形のないもの、より喜びや感動が得られるものを欲するように変化していきます。なぜなら、形あるものはいつかは朽ち果てることを実感するようになるからです。そして、形あるものであっても、その中に目に見えない深い内容を伴ったものを所有したいという欲求が強くなります。

それに喜びや感動といったものは、自分ひとりで生み出すことはできません。必ず何かの対象を通して「感じる」ものです。そして対象とするものの規模や内容がより大きく、深みのあるものであればあるほど、それに比例してそこから得られる刺激としての喜びや感動も大きくなっていきます。

従って、今現在、私が描いている「天国」というのは、ある関係性から生まれてくる喜びや感動が常に新鮮で永続的に生まれてくる環境のことを指しているといってよいのです。

「家庭教会」がそうした環境となるなら、それが「私の天国」となるに違いありいません。

そして、その天国は「どこか」に実在しているのではなく、あくまで私が「ある場所」において「創造していくもの」であるということです。

であるならば、かつて信仰初期段階のような、天国に行けるから・・という言い分は見事に消え去っていきます。

わたしが天国を創造し、私がそこに入るのだと。そのための信仰であること。

どこまでも能動的に、主体的に天国に関わるのだということです。

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