目 次
家庭教会摂理 解説
家庭教会(ホームチャーチ)とは何か。み言を中心に解説
ホームチャーチについて
「ホームチャーチ運動」というものは、1978年くらいから言われ始めて、79年くらいから本格的に動き始めました。そして、教会組織が捉えたホームチャーチというのは、路傍伝道から、自分の所属する教会の周辺で訪問伝道する伝道形態の変更であると受け止めて、そのような活動に入っていきました。
しかし、先生が言われたホームチャーチはそういうものではありませんでした。
光言社から出された「家庭教会(ホームチャーチ)」とタイトルがつけられた冊子があります。
そのP12に、
『家庭教会はそもそもエデンの園において成立すべきでした。すなわちエデンの園において神を中心として、アダム、エバが一体化し子女を繁殖して、そのアダムの家庭において、神を崇めるようにしていたならば、そこにおいて神の愛による家庭教会が成立していたはずなのです。神の創造本然の理想は先ず個人から出発し、男性と女性が家庭を作り、その神を中心とした家庭が、社会、国家、世界へと拡大していくことでした。従って、家庭教会が社会教会、さらに国家教会、世界教会へと拡大していって、天国を実現することが神の本来の理想だったのです。ですから統一教会が家庭教会を建設するということは大いなる光栄です。なぜならそれを実行することによって、私たちは神の創造理想の出発点たるエデンの園の理想を経験することができるからです。神の創造理想はアダム、エバが家庭を作り、子女を繁殖して、地上に天国を実現することによって、霊界においても永遠なる天国に住むことでした。もしこれが実現していたならば、アダム、エバの子孫たる人類は、すべて天国に住むようになるはずでした。そうなっていたならば、アダム家庭の伝統は子孫代々に受け継がれて、人類全ての伝統となっていたことでしょう。そして神を中心とした家庭教会が人類全ての唯一の伝統として継承したことでしょう。』
ですから、家庭教会というのは、この御言を読めば、近所まわり伝道の話とは違うということは理解していただけると思います。
「ホームチャーチ」、「家庭教会」とは何なのかというと、これはアダム家庭を指すのです。すなわち、神様を中心として立ったアダム家庭、これが家庭教会だったというのです。
神様の理想というのはどのように実現するようになっていたかというと、それは神様を中心として、まず個人から出発し、男性と女性が家庭を作り、その神を中心とした家庭が、社会、国家、世界へと拡大していくようになっていた。従って、家庭教会が社会教会、国家教会、世界教会へと拡大していくようになっていたのだと、このように先生は語られています。
ですから、ホームチャーチ運動というのは、近所まわり伝道ではなく、アダム家庭を復帰するための運動だったということ。これはもともと天国で成されるべきものだったものを、今歴史の最後に、再びそれを成せる時代がきたので、我々にとっては最も光栄なことなのだということ。この家庭教会、アダム家庭が作られていけば、それが人類全ての伝統として継承されていくようなものになるということであります。
伝道するためではない
この「家庭教会」の本を見ると、
『ホームチャーチは伝道するためではなくて、摂理的観点から出発したものです。』
となっています。ですから、この運動は伝道のために起きているのではなくて、神の復帰摂理の中で起きてきたものなのです。
では、復帰摂理としてどうして起きてきたかというと、神の摂理の目標が、アダム家庭ただ一つを探し出すことだったという御言がありましたから、そういう観点で出てきた運動なのだということです。
堕落人間が歩まなければならない運命
P6には他にも、次のように語っておられます。
『ホームチャーチは単なる伝道のための手段ではありません。ホームチャーチは運命なのです。堕落人間がこの道を歩まなければならない運命なのです。男として生まれれば、女と結婚する運命にあり、女として生まれれば男と結婚する運命にあるように、ホームチャーチは堕落人間が歩まなければならない運命なのです。』
そして「家庭教会」P14を見ると、
『イエス様はペテロに天国の門の鍵を預けていきましたね。天国の門を開けることのできる核心的な内容がホームチャーチなのです。』
P35
『天国の鍵は何でしょうか。それはホームチャーチです。それ以外ありません。』
P7
『イエス様は天国に入る鍵をペテロに与えられました。今日私は家庭教会をあなた方が天国に入るための鍵として与えます。』
このようになっています。
ですから、まさにこの家庭教会こそが、私達がこれから天国に入るための鍵となっていて、これを通過せずしては天国に入ることはできないのですね。
最高の特権
また、このホームチャーチ運動をすることが、最高の特権だという御言があります。
P6
『ホームチャーチは第一の摂理です。他のどんなものも二義的なものです。わかりますか。私はあなた方だけではなくて、全世界の全統一教会員に対して、この伝統の伝授を宣言します。』
あるいは
『歴史を通じて、他のどこにも統一教会以外には、だれもそのような最優先権と特権は与えられませんでした。ホームチャーチを行う限り、それはあなた方の最高の特権であり、他の全てのことは第二義的なこととして免除されます。』
「ホームチャーチを行う」と言うのだったら、何か摂理があるからこれをやってと言われたとしても、「いやホームチャーチやってるので」と言ったら、全て免除されるという「最高の特権」なんだというのです。
成約時代の原理観の理解が深まれば、それはもう、これを行うのが神の目標だったとわかりますから、どこかで何か外的なことが忙しいとか、そんなことは一切免除してあげる、絶対ひっかからないというのです。それくらい重大な特権を持った活動だということです。
復帰摂理の目的地
それからホームチャーチこそ、復帰摂理の目的地であるという御言があります。
P 38
『私がなぜ、どんなに避難されながらも、悲しみを耐え、命をかけて、ホームチャーチをつくりあげようとして生きてきたか、その理由が今、初めて分かりましたね。ホームチャーチこそ私がしようとしたことであり、イエス様、そして全ての宗教者がしようとしたことです。今、あなた方はそのことが分かりますね。ホームチャーチが目的地であったわけです。』
P38
『統一教会においてこれからの復帰摂理の終着点はホームチャーチです。』
また
『神の摂理を完成させる道を結論づければ、それはホームチャーチによって、完結すると言えます。』
このように、ホームチャーチ運動こそが、私達がなすべき最後の目標であるということです。
人格完成を成す道
ファミリー81年3月号、には次のような御言があります。
『ホームチャーチをしていると、あなた方はそれがまさにイエス様の働きの本当の目的であったということがわかるようになるでしょう。イエス様はかくも懸命に働き、弟子達を集められ、説教をされましたが、彼はそれは何のために成されたのでしょうか?それによって弟子達と自ら自身をホームチャーチに送るためです。さぁこの価値をどれほど多く分かってもらえるでしょうか?このホームチャーチのために神が苦労し、イエス様が命をなくし、私も苦労し、数多くの宗教者達が犠牲になり、数多くの戦争歴史を今日まで続けてきました。ホームチャーチさえすれば、自動的に人格形成が成されて、国ができあがります。』
人格形成はどうやったらなされるのか? ホームチャーチ運動をすれば自動的に成される・・・ただ、オートメーション的にはできませんが、アダム家庭運動をしない限り、人格形成は絶対にできないのです。アダム家庭復帰運動をすれば、当然それは人格完成運動でもあるので、それがなされてくるということです。
360軒は四方八方に連結された食口たち
それから、「家庭教会」P84には
『360軒の人々に歓迎されるようになれば合格ですね。360軒のある家の屋根にくもの巣があった場合には誰の責任ですか?天国のように愛するのです。天国のように愛すれば、正しく自分の天国が生まれてきます。ある条件圏に立った場合には、霊界の善霊が動員して直ちに復帰されます。嘘ではありません。やってみなさい。自然屈服圏を作って自分の活動圏とするのです。そうして四方八方に食口たちが連結するのです。360軒に反対するものはサタンです。あなたの一族は360軒を命懸けで死守して天国の基台とするのです。そこに不良少年がいた場合は、あなたの責任ですよ。そこで勝利した場合には、故郷に帰っても自然に「はい、はい」とあなたの言うことを聴くようになります。』
ここにはっきり360軒は四方八方に連結された食口たちなのだと先生は言われてますね。近所まわりの人ではないのです。食口が集まって12家庭、72家庭、360軒、ホームチャーチを作っていかなければいけないのだということです。
なぜ360を言ったのかというと、360というものは全体を表すからであり、あるいは1年360日、1年を表徴するとか、神様の歴史を表すだとか、地球を表すとかいう御言があって、結論をいうと、360は全てを表す、天宙を表すということで、360という数字を言ってのであって、厳密に近所周辺360軒を決めて住宅地図に塗りながら回ったりするような、そういうことではないのです。食口たちが全世界、天宙を表す基台を作らなければいけないというのです。
その原理数として360の食口たちが四方八方に連結されると、そういう食口の中に、屋根に蜘蛛に巣があった場合はと言っているのは、要するに、何となくサタンが乗っかっているような家庭があったら、そこに行って掃除してあげなさいということなのです。そういうことをこのように例えているのです。そうして360軒の食口の基台を作りなさいということなのです。
2000年まで延長されて準備をする
ホームチャーチは、1976年、77年、78年あたりから本格的に始まっていきますが、先生としては87年までに一つの形を作りたかったようです。しかし、できなかったらどうなるかというと、2000年まで延長されて準備をするという御言があります。それはマルスム選集の、1979年10月26日に語られた「摂理史的現時点」という御言があって、
『今からホームチャーチに投入されていかなければならないのです。1987年まで皆さんは完成できなければ、いつまで延びるのか、2000年まで延長するのです。』
ということで、延長されました。
いよいよ2000年を越えて、再びホームチャーチをなすべき時が戻ってきたわけです。
先生はホームチャーチを訪ねてくる
それからホームチャーチという観点で、もう一つ見ておかなければいけない御言が、「家庭教会」P116にあります。
『私が戻ってくる時は、統一教会に戻ってきますか?それともホームチャーチに戻ってきますか?(ホームチャーチ)なぜですか?教会は家庭のための、社会のための事務所のようなものです。それはちょうど中間のようなもので事務所です。しかしホームチャーチは神が働くことができるところ、父母様が働くことができるところ、息子娘が住むことができるところ、一生涯共に暮らすことができるところです。真の兄弟がそこに住み、真の氏族がそこに住みます。それがホームチャーチです。』
ですから、文先生は、霊界に逝かれたらば、ホームチャーチを訪ねてくるようになります。霊界に行かれてもう1回戻ってくるというのは、再臨復活して来られるということです。
イエス様が再臨復活すると、再臨主という形になりました。再臨主も御旨がまだできてないということを学びました。ですから、御旨は絶対的なものなので、当然完成するまで再臨復活しなければならないのです。我々もそうであるし、メシヤも当然そうだし、アダムも御旨ができないから、第一、第二、第三アダムというように復活してくるのです。
教会は社会のための事務所のようなもの
それで文先生が復活して戻ってくる時、どこを訪ねるかというと、ホームチャーチを訪ねるとはっきりおっしゃっているのです。ですから、ホームチャーチを作ったところにメシヤが訪ねて来るようになる。では教会はというと、教会は、社会のための事務所のようなもので、それはちょうど中間のようなものだ。事務所というのは教会を助ける所なのだと語っておられます。
「家庭教会」P117を見ると
『一旦、ホームチャーチ制度が完全に確立されると、私たちは本当にいかなる組織も必要としません。統一原理は学校制度の中で教えられるようになり、もはや教会の指導者達も必要としなくなるでしょう。これは少しも悪い知らせではありません。私たちはもっとも輝かしい生活を持ち、この目標を持って、最終的勝利を得る最後の日まで前進します。』
ホームチャーチは何よりも貴い
「家庭教会」P119
『ホームチャーチは何よりも貴いものです。アメリカの大統領になることよりも、百万長者になることよりも、いかなる成功をすることよりも、問題でないほど貴いものであることを知らなくてはなりません。皆さんがホームチャーチにだけ勝利しておけば、皆さんが死んだ時にホームチャーチの人たちが賛美と讃揚をもって見送り、霊界全体がそれに拍子を合わせて歓迎するという事実を知らなくてはなりません。そこで死んだとすれば、皆さんは直ちに天の国のどこにでも通じることのできる復活体として、すなわち何の制限もない神様の息子の特権を持って、復活することができるのです。そうしなければ先生の行くところに共に行くことができません。神様のおられるところに入っていくことができないのです。』
このように語っておられます。
家庭教会というものは。いかなる価値をもったものであったのかということをはっきりと認識して、これから「訓読家庭教会」を作っていこうというのであります。