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第3章 7年路程のみ言

7年路程を行けなければ

この7年路程を行けなければ、どうなるのか知っていますか? 21年路程を行かなければなりません。なぜ21年になるのか分かりますか? 7年路程を行けないということは、7年、下がって行くのと同じ事です。だからもう一度、上がろうとするならば7年かかるのです。そこでもう一度、7年行かなければなりません。だから21年、かからざるをえないのです。何の事かわかりますか? だから次の7年は、生死をかけた期間なのです。2次路程には、このような立場に立つなというのです。皆さん、気を正さなければなりません。先生もこの道を行く時に、立てた7年計画が排除されてしまったので、このように7年路程を行くのです。1960年には21年路程の14年が終結されました。これから4年路程(63年〜67年)が終わる年が満21年目であり、21年路程が終結されるのです。天は、このように公式的な摂理をされます。

皆さん、ヤコブ路程を学んだでしょう? 何か、絶対的に1つになったことがありましたか? 残酷な過程を経た後に祝福基準を立て、万物復帰の基準を立てることができたのです。子女を取り戻しておけば、彼に属するすべての万物は、自然に祝福基準に立つというのです。だから事業隊員が出てくるというのです。皆さん、なぜ21年かかるのか分かりますか? 7年期間だけよくすれば、戻っていくようになるのです。

この7年路程が終わった後には、何をするのでしょうか?今から先生は、命令をしません。絶対に伝道しなさいとは命令しないのです。行くならば行き、行かなければ行くなというのです。今からは、原理を悟らせてあげなければならないのです。先生が今までに、この復帰の責任を負って、どのように歩んで来たのかということを教えてあげなければなりません。この地の上に蕩減の役事を立てるためには、どのような責任を果たさなければなりませんか? 実体復帰をしなければなりません。しかし、実体的な路程が出てきていないのです。統一教会の先生に、ある使命と責任があれば、先生を中心として、どのような蕩減の役事をしてくるのか知っていますか?誰も知らないのです。だから、これを全部、教えてあげなければならないのです。この教えを受ければ、行かざるをえないのです。だから、「行け、行くな」という必要がないのです。

何ヶ月は何をして、何ヶ月は何をするということを段階的に定めておいて、「行くならば行き、行かなければ行くな」というのです。皆さんが行かなければ、世界の人たちが行くのです。そのような時が来るというのです。

(1964.7.17.我々の使命は大きい)

7年路程の重要性

祝福を受けた家庭が責任を果たすことができないために、教会の発展に相当な支障がもたらされているのです。更に、入ってきて長くなった人たちが責任を果たしていないので、新しく入ってきた人たちに支障をもたらしているのです。だから、先生が21年を経てくるのと同じように、統一教会が行く道においても、蘇生、長成、完成の3段階を歩まなければならないのです。

それでは皆さんは、どのような立場で使命を果たさなければなりませんか? 皆さんが、この復帰の路程を、1段階、1段階、歩んでいくためには、長い期間が必要ではありますが、1つの中心が、そのような使命を総合して勝利的基盤を築いてきたために、蘇生の7年期間を中心として、受けた命令を果たしていくならば、この7年期間で完結させることができるのです。

だから、統一教会の信徒と、これからこの理念を探して来る数多くの人たちは、この7年路程を超えなければならないのです。そうしなければ、失った天的な心情を探し出し、復帰の心情を引き継いでいくことができないのです。

神様がそのようにして来て、先祖たちがそのようにして来て、先生がそのようにして来たので、皆さんもその道をたどって行かなければならないのです。これが国家的な基準まで超えていけば、短くなることができるのです。7年が7ヶ月になることができ、7ヶ月が7日になることができるのです。この使命が完結される前までは、世界史的な7年患難が残っているのです。

皆さんが、この7年期間にしなければならない使命は何ですか?個人的な勝利の主管圏を備えなければならず、家庭的な勝利の主管圏を備えなければならず、氏族的な勝利の主管圏を備えなければならず、民族的、国家的な勝利の主管圏を備えなければなりません。しかし、堕落した後孫である皆さんは、直接7年路程の道を行くことができないのです。だから神様は、主様を立てて、霊界と地上界に、そのような道を築き上げておいて、皆さんが行けるようにしているのです。復帰路程がこのようになっているという事実を、皆さんは知らなければなりません。

今まで神様は、誰を探してきたのですか? 勝利的主管者なのです。天と地を中心とした勝利的主管者を探してきたというのです。栄光の真の父母が来られる時に、その方の前に反対するサタンをなくしてしまわなければなりません。その方の御旨と理念に相いれないことは、存在することができないのです。そのような時が来るのです。半分だけ超えれば切り捨ててしまうということを、皆さんははっきりと知らなければならないのです。

今日、この新しい理念が出てきて、すべての思想を1つの所に追い立てる時に、ここで1つになれなければ、世界を再び半分に分けておくのです。アダムからカインとアベルが分かれてしまったことが、合わせることのできる運勢で1つになり、完全な位置をつかまなければなりませんが、ここで1つになれなければ、必ず分けておくのです。アベルとカインを分けておいた後に、カインをぶち壊して、アベルとセツによってカイン・アベル型を代置して出発するのです。このような事実を、皆さんははっきりと知らなければならないのです。歴史がそうであるように、統一教会も同じなのです。

勝利的主管者の切符を受けることが祝福であるというのです。先生が祝福した家庭は、3年路程だけではなく、4年路程も経なければならないために、まだ完全な祝福ではないのです。この4年路程で闘って滅びてはいけません。ここで引っかかってしまえば、だめだというのです。この4年路程を超えて、国家的な歓迎裡に再祝福を受けなければなりません。それだけでもいけません。その次に、世界的な路程を完全に越えなければなりません。そのような過程を経ていけば、3次の祝福を受けることができるのです。

(1965.1.1.勝利的主管者になろう)

7年路程は子女を決定づける期間

先生は民族に対し、既成教会に対して責任を果たしました。先生がまず助けるときにおいては、子女から助けてはいけないのです。地域本部に難しい問題があれば、自ら解決しなければなりません。先生は資金が必要になれば、工場に問い合わせて、手に入れて、既成教会に対してヤコブのような条件を立てようとするのです。これが原則であるので、このようにするならば間違いなく御旨が成されるのです。成せなければ、原理が間違っているというのです。だから先生は、食口たちを強く追い立てているのにもかかわらず、相対してくれる人々は言うことを聞かなかったのです。彼らのために統一の役軍が苦労をしたとしても、食口たちに生活基盤を築いてあげることができないのです。食口たちの生活基盤より教会が問題です。

国のための思いがあれば、まず教会を探さなければなりません。国家的な基準を立てるためには、まず教会の基盤を立てなければなりません。そのようにできる、最も適切な時なのです。我々には、韓国の各地に、教会を代表することのできるアベル的な祭壇が必要なのです。だから我々は、1000個の教会を立てようとする目標を定めて、今、非常作戦をしているのです。

それができなければ、内的外的に延長する為に、ただひとかけらの条件を立てる為に、全体がこのような活動をせざるを得ないのです。ある人は、このようなことを理解できず、 「アイゴー!先生はなぜこういうことをするのだろうか」 と言いますが、その人は、このような事情が分からない人なのです。

7年路程は何をする期間でしょうか?これは、統一教会にだけあるのです。イエス様が30歳から公生涯を出発する時に、ヨセフの家庭でマリアとヨセフが、内的にイエス様をよく受け止めたならば、イエス様は家庭的に御旨を成すことができたはずです。ペテロ、ヤコブ、ヨハネのような漁夫たちは何の使い道がありますか?洗礼ヨハネは、イエス様の従兄弟で兄格になるのです。洗礼ヨハネとの関係も、家族で成さなければならないのに、家族で分からずに御旨を失ってしまったのです。イエス様がされようとした神様の御旨を、家族で話すことができたならば、そうして家族を通して出発したならば、世の中が知らずに御旨が成されたはずでした。そのようにしヨセフの一門を中心として、使徒たちを集め、彼らを通して神様の氏族を編成したはずでした。

しかしイエス様は、粕のような乞食の群れを集め、使徒につくりあげて導いていったのです。それも知らずに、既成教会では、‘アイゴー、使徒よ!'と言いながら仰いでいるのです。先生は、そのようなことを思うと、呆れかえってしまいます。ペテロは何で、使徒ヨハネとは何ですか?そのようになっているのに・・・。

私たちの食口の中で、イエス様に通じる人がいれば、何と呼びますか?もしも婦人たちが通じたならば、イエス兄さんと言うでしょう? 私たちは理解できるけれども、既成教会では夢にも思わないのです。イエス兄さんと呼べば、 「アイゴー、主様は全宇宙の救世主なのに、イエス兄さんとは!」 と言うはずです。神様が私たちの父であり、イエス様も神様の息子であり、イエス様と私たちは兄弟なのに、何か違うものがあるのかというのです。だからイエス様が兄さんになるはずです。私たちは、イエス様をそのように呼べる原理を持っているのです。皆さん!持っていますか、持っていませんか?持っているでしょう?だから神様は、私たちの神様なのです。既成教会の神様は義父の神様、即ち養子の神様です。神様は誰の神様?私の神様であられるのです。私の神様!皆さんもそうですか?そうでなければ問題になるのです。

7年路程は何をする期間ですか?神様の子女を決定づける期間なのです。それをはっきりと知らなければならないのです。先生は、世界的な問題をかけて蕩減しなければならず、皆さんは個人的な問題をかけて蕩減しなければなりません。何故そうなのか?先生が縦的基準を築いたので、皆さんは横的につかむだけすればよいのです。皆さんは背負われて入っていくのです。先生は誇るのではないのです。祈祷をしてみなさい。統一教会の信徒たちは、先生に多くの負債を負ったのです。皆さんがいくら忠誠したとしても、報いることができないのです。信じられなければ祈祷してみなさい。だから先生が、一言でも口を少し開けば、いくらばからしい人であっても耳をぴんと立てるのです。先生の御言葉、一言でも人を殺すことも生かすこともできるのです。

天倫は容赦がありません。そして公平です。先生が何かを話しても、皆さんが肯定的な立場で受け取るということは奇跡なのです。20世紀の奇跡なのです。先生は御旨のために、全てを捨てました。父母も捨て、妻も捨て、一身の全てのものを捨てました。完全に捨てたので、神の恩赦が一度に注がれたのです。  絶対的な信仰を持ち完全に捨てれば、絶えきれないほどの大きな恩恵を与えようと準備しておられるのに、それが見えていないのです。ただ針の穴に入ってみれば、引っ繰り返ってしまうのです。世の中は、からくりなのです。

7年路程は、何をする期間なのですか?(男性の方を見ながら) 「神様の息子を決定付ける期間です。何をする期間ですか?(女性の方を見ながら) 「神様の娘を決定付ける期間です。」 どれほど良いですか?神様の子女が決定された時には、皆さんの前に昔の使徒たちが来て、敬礼をするのです。ペテロ、ヤコブが来て敬礼するのです。先生がもう少し話したいのですが、異端視されるので話せないのです。使徒たちが、皆さんにも敬礼をするというのです。何故、口を開けてぽかんとしているのですか?良いのでそうしているのですか?あきれて、そうしているのですか?今、良くて何をするのですか?他人は皆、飛行機に乗ってアメリカに行って見物をしているのに、一人だけアメリカ行きの飛行機の切符を持って喜んでいるのと同じなのです。

(1966.12.11.7年路程が何故、必要なのか)

7年路程で6千年の歴史を蕩減しなければ

今は、父母としての権限を持ち、子女としての権限を持ち、万物としての権限を持ち、神様としての権限を持ったので、サタンの攻勢を止めるようにしなければなりません。今までは、私たちがサタンに負い込まれてきましたが、今からは逆に攻勢に転ずる時が来たのです。だから、‘全面的な進撃をしよう’という標語を立てることができたのです。

今年の7月は、7数を越えていく月です。即ち、アダムとエバが創造されてから7数の過程を経なければならなかったのと同じように、7数で過程を越えていく月なのです。神様を中心としたときには、アダムとエバは子女の立場であり、神様は父親の立場です。先生を中心としたときには、先生は父母の立場であり、皆さんは子女の立場です。1月から7月までの7ヶ月は、7年路程に該当する7000年の運勢を復帰する期間です。この期間を超えていけば、新しい時代が展開されるのです。だから、この期間中に、40日夏季伝道の期間を送ることは、天的な意義があるのです。

長成期完成までは、アダムとエバが子女として歩む道です。完成期まで上がれば父母になるのです。それでは皆さんは、今、どのような立場にいるのですか?皆さんの今の立場は、イエス様がユダヤ教とイスラエル民族を中心として、新しい出発をしようとする立場と同じです。更に、この立場は、ユダヤ教がイエス様を受け入れて、氏族と民族が一致され出発しなければならない立場と同じなのです。この立場は、子女の使命を果たし、堕落したアダム家庭を復帰した形態の立場と同じです。ここで7年を経ていかなければなりません。出発当時は子女の基準であるけれども、この過程を経れば、父母になるのです。

本来、子女を中心として、韓国とキリスト教が先生の家庭と一致しながら、この過程を経なければならないのです。イエス様が、ユダヤ教とイスラエル民族を中心としてなされようとしたのと同じようにしなければならないのです。7年だけ、そのようにするならば、すぐに超えて行けるのに、一致できなかったので、21年かかったのです。先生が、韓国のキリスト教と直系の関係を結ぶことができなかったことが残念です。6000年歴史の因縁を直接に結ぶことができず、先生は他の一族を中心として21年間を歩んできたので、直系と因縁を結ぶことができなかった恨みが残ったのです。

7年路程の間、個人復帰、氏族復帰、民族復帰の土台を造ってきましたが、まだ6000年の摂理の土台が残っています。これを蕩減しなければなりませんが、この蕩減を誰がするのでしょうか?今の統一教会は、先生よりも一段階落ちた子女時代圏に該当する立場にあるのです。だから、今から皆さんが7年路程を歩みながら、6000年の歴史を蕩減復帰しなければなりません。第2次7年路程は、誰の時でしょうか?統一教会の信徒たち、即ち、皆さんの時です。

イエス様の恨みは、氏族とユダヤ教団とイスラエル民族が1つになれなかったことです。イエス様は十字架にかかる時まで、その基準を連結することができなかったのです。それで、神様の今までの功績は、最も苦労した人に相続されるようになったのです。

教団をみるとき、私たちの教会はアベル格であり、既成教会はカイン格です。かし、父母が完全に復帰されるようになれば、アベルだけでは復帰することができません。カインとアベルが1つになって父母に侍るならば、復帰されるのです。

(1968.8.13.第2次7年路程の意義)

誰もが行かなければならない7年路程(1)

天の家庭を成そうとするならば、3人の子女を持たなければなりません。そうして祝福を受けて生まれた直系の子女を、信仰の子女が自分の生命を代身して、腹中から侍ることのできる基盤を築かなければ、家庭の基盤を備えたということができないというのです。これは、先生が適当に話しているのではないのです。天法がそのようになっているのです。

だからイエス様も、最後の死の場までも3人の弟子を抱えていこうとしましたが、その弟子たちが皆、逃げてしまったのです。だからイエス様は、そこで昇天しなければならなかったのです。もしも3人の弟子がイエス様と共に死んだならば、イエス様を復活させる前に、3人の弟子を先に復活させたのです。そうならば聖霊が来て、イエスは昇天しなかったのです。だから、霊的な基盤が地上で成せたならば、信徒たちがたくさんの祈祷を捧げなくても、霊界と直接つながることができるのです。しかし、この地上で父母になれる基準が1つもなくなってしまったので、父であるイエスは、天を代表として霊界に行かなくてはならず、母である聖霊は地を象徴とするので、地に来なければならないのです。

そのように父と母が分かれた立場にいるので、その子女になることがどれだけ大変なことでしょうか?これは、イエス様の3人の弟子が、地で勝利的な復帰の土台を立てることができず、イエス様と生死を共にする条件を立てることができなかったので、そうなったことは明らかなことなのです。これが法度なので、今後、この家庭を成せなければ、天国に入っていくことができないということを、統一教会の信徒であるならば誰もが知らなくてはなりません。

イエス様もそれゆえに亡くなり、先生もそれゆえに21年の間、苦労をしたのであり、神様は6000年の間、それを探すために今まで役事をしてこられたのです。これは今後、原理を学ぶ人であれば、誰でも行かなければならない公式路程です。この公式路程には許しがないのです。許しがありません。いくら先生をよく知っているといっても、それはどうすることもできないのです。

これは皆さんが行かなければならない公式路程ですが、この路程で皆さんは、21年前に先生が出発した、そのような時点に置かれているのです。先生は、教会から迫害を受け、国から負われ、そして多くの霊能者の反対を受けてきました。しかし今は、そのような時代ではありません。皆さんは、今後、国と宗教と多くの教派と霊能者が世界的に証をするようになり、歓迎を受ける時代圏内にいるのです。そのようなことをみると、皆さんが先生よりも福のある立場に立っているのです。過去においては、歩んでいて失敗したならば、引っ繰り返して蕩減しなければならなかったのですが、今、皆さんにおいては、そのような時代が過ぎたのです。すべての与件は出たのです。それこそ、蕩減の時代は過ぎ去り、今後は栄光の時代が私たちの前に近づくという良い時代が来たのです。これが子女の立場にいる皆さんに該当される期間なのです。父母が間違ってしまい、人類の前に苦難の基準が立ってしまったのです。しかし、先生が父母の立場で責任を完結したので、子女の立場に立った皆さんは、全ての逼迫と讒訴の基準を超えることのできる立場で出発することができるのです。この期間がすなわち、7年路程です。

この7年路程は、誰もが行かなければなりません。優れた人、愚かな人、誰であっても行かなければなりません。人間として生まれたのならば、誰もが、この路程を歩まなければ、絶対に天国に行くことができないのです。聖書には出ていませんが、もともとイエス様も27歳から33歳までの7年間を中心として出発したのです。そこから40歳まで第2次路程であり、イエス様が20歳から始めたのならば、それが3次7年路程になるのです。そのようにしてイエス様は40歳まで世界的な基盤を築かなければなりませんでしたが、民族が受け入れなかったので死んでしまい、それが聖書に7年大患難として残っているのです。

しかし、今の既成教会の信徒たちは、聖書の7年大患難が何であるのか分からず、ただ、7年大患難が起こると騒いでいるのです。イエス様はダビデ王の代身です。それで、ダビデ王40年、サウル王40年、このように4位基台を中心として役事しなければならなかったのです。だから、40数を満たさなければならないのです。

先生も統一教会を中心として、満40歳の時の1960年度を中心として、天的なプログラムを回す基盤を築いたのです。だから世界は、1960年度を中心として、新しい歴史時代に入っていったのです。歴史家は外的な結果だけをみていますが、内的な動機がどのようになっているのか分からずにいるのです。だから、この7年期間に世界が混乱状態に陥り、共産世界が滅ぶ運勢圏にまで至ったのです。民主世界と共産世界が、全世界を指導する権限を喪失する時が、7年路程を迎えることによって落ちてしまうのです。

だから時間がかかるけれども、今からは、神様だけが世界的に発展することができる時代になったのです。皆さんは、今から活動をしても怨讐と闘わなくてもいいし、皆さんが活動したことを直接、皆さんの収穫として収めることができる、自由な環境に置かれているのです。

(1968.9.1.復帰の過程と世界)

確固たる主体性を持ちなさい

先生は、今まで新しい祝福、新しい家庭のために蕩減条件を皆さんが立てるようにしてあげ、皆さんの重い荷物を私が責任を持つようにしてきました。しかし先生が責任を遂行したのにもかかわらず、皆さんが天法を犯すならば、その罪は何十代の後孫にまでかかってしまう恐ろしいことなのです。

もしも、統一教会の心情圏を土台にしたことを主張して、全ての人が自分勝手に交際して結婚して子供を生んだならば、原理の限界を超えて、誰が彼らの責任を負うのでしょうか?神様も責任を負わないのです。旧約聖書には、淫行や姦淫の罪は、石で打ち殺すようにしたのです。それ以上のことは、どのようにするのですか?だから日本においても、このようなことをもっと徹底しなければならないのです。

蕩減は、誰によって統轄されるのですか?自分です。主管性を失ったことが堕落です。外からどんな干渉があっても、自分は確固たる主観性を持っていきなさい。他人はどんな道を行こうが、自分の行く道が忙しい。横で、大声でしゃべっていたとしてもそれに関心を持つ必要がありません。そのような現状に、いつも追いまくられている基準を立てることができなければならないのです。それを知れば、夜寝る時間がありません。楽に座ってご飯を食べることもできないのです。どっしりと腰をおろして、ご飯を食べることもできないのです。そのように切迫した復帰の事情を感じる皆さんにならなければなりません。

神様は7千年の歴史を望みながら、今まで我慢して来られたのに、私たちは最初の7年期間に蕩減できなければ、神様の前に立つことができないのです。6000年の歴史を、どのように7年期間に短縮して蕩減し、これを心情的に継承することができるのでしょうか?これを容易なことだと考えているのですか?若い時に力を出し切ってもできない復帰の路程が残っているのです。勉強することも、何かになることも全部、このためにするのです。

先生がここまで来るのに、どれほどの蕩減を払ったのか、どれだけ深刻であったのか!拷問が問題ではないのです。首が飛んでいくのが問題ではないのです。近づくその時を望みながら、黙々と数十年間、全生命をかけて来ました。そうして、その深刻さが神様を感動させ、神様が先生を同情せざるを得ないのです。だから先生がだまっていても、世界中の霊能者が先生のために働いているのです。世界の方々で、先生の成功のために霊界が総動員されているのです。

(1969.2.4.理想相対)

7年大患難の本当の意味

人間が長成期完成級で堕落したので、完成段階が残っているのです。その完成段階の期間が7年です。蘇生、長成、完成の3段階の7年を掛け合わせると21年、満では20年になるのです。韓国の年でみれば21歳、満では20歳、この時は人間が成熟期に入る時です。成熟期になれば、愛の神様は自動的に結婚して下さるようになっているのです。

アダムとエバは、神様を中心として祝福を受けて、人類の真なる父母として公約を受けなければなりませんが、それができなかったのです。堕落しない圏内で堕落してしまい、このような段階が残ってしまったので、残された7年までに、6000年の歴史に千年王国を加えて、7000年の歴史の恨みが残されるようになったのです。1年が1000年、7年が7000年に延長されてきたのです。

私たちは、これを、7日を中心として、7年を蕩減するのです。これが7年路程です。聖書においては、1日を1年で蕩減することを知ることができます。7年路程、これがキリスト教でいう大審判、即ち7年大患難です。堕落圏内にいる家庭が復帰して上がり、初めて堕落圏内とは関係のない天の家庭として上がっていくために、逼迫を受けることが大患難なのです。神様が共にいて下さる家庭が逼迫を受けることは、歴史上で初めてのことです。だから、これが大患難なのです。この7年路程で責任を果たせない家庭は、滅びる家庭なのです。上がっていく家庭ではないのです。

祝福家庭が責任を果たすことができなければ、7年路程は延長されるのです。アダムとエバが原理結果主管圏、即ち間接主管圏内で堕落したことによって、人間が行くべき圏内をサタンが侵入し、従って間接主管圏の全部をサタンが主管するようになったのです。7年大患難ということは、逼迫を受けなければならない人間が受けずに、迫害を受けてはならない家庭とか、人々が受けるというのです。これが7年大患難であり、歴史上に初めての患難です。統一教会でいう7年路程なのです。

皆さんは、蘇生長成・完成を経て、成長すれば、間接主管圏内に入るようになります。直接主管圏は神様を中心として連結されるのです。神様を中心として、家庭的に父母と子女の位置を成すのが直接主管圏です。統一教会では、1967年と1968年の間にその圏を準備しました。

長子が神様の直接主管圏内でみ旨を成したならば、長子は神様の息子、即ち、神様を中心として円満な家庭になって、国家も神様を中心とした国家になって、世界も神様を中心になった世界になるのです。神様は、今まで、キリスト教を通して、このように長子復帰をしてこられたのです。

(1969.5.25.長子復帰に対して)

第2次7年路程の意義と我々がするべきこと

この民族と国をみるときに、この国は外的であり、我々は内的です。更には、この民族と国は長子ですが、我々は次子なのです。しかしソウルに来てみると、我々が外的な立場に立つようになるのです。今までの復帰歴史を比較してみれば、誰がこの国をもっと愛するのでしょうか?3千万の民族を誰がもっと愛するのでしょうか?神様はどちら側になるのですか?6000年間、サタンが神様を讒訴しましたが、神様とサタンと比べながら切って上がってきたのです。どこまで上がってきたのかといえば、ソウルまで復帰して上がってきたのです。

大韓民国と統一教会を比較してみると、どちらが神様に侍って復帰してくるのかということが問題なのです。これを我々がしなければならないことです。これが歴史的な再蕩減型なのです。更にこれが7年の歴史であり、7000年の歴史を代身するのです。そうしながらソウルまで上がってきたのです。しかし、まだ神様が内部の決定的な位置をつかむことができないので、押し出しているのです

第2次7年路程は父母を決定する路程ですが、父母は子女たちが決定するのです。皆さん!これを原理的にみて分かりますか?内的な基準を子女たちが立てなければならないということです。

堕落はアダムとエバがしましたが、結果はカインとアベルに現れたのです。そして、僕の位置に根を下ろしたのも彼らなのです。だから、父母を復帰できないのです。それで皆さん自身は、先生を中心として父母の立場に立ち、これを分けておかなければなりません。これは復帰歴史を通して、神様が合わせてくるのです。そうならば原理的ではないでしょうか?

復帰歴史を経て来るにおいて、今までキリスト教の歴史は殉教の歴史でした。今まで、死にながら、鞭打たれながら、追われながら歩んできたのです。次子の立場で、長子から打たれながらきたのです。しかし今からは、次子が同等の立場に立ったのです。次子も位置をつかみとったのです。今からは、サタンも差別することができません。家庭的な基準で、永遠に生きることのできる基準を立てておいたというのです。

国家的基準で蕩減復帰するためには、次子の位置で長子の位置を復帰しなければなりません。皆さんが長子の位置と次子の位置を引っ繰り返しておけば、逆さまになった長子の歴史が引っ繰り返るというのです。それによって、復帰された後に父母が復帰されるのです。だから、このような時であるほど、皆さんの使命基準を失うなというのです。第2次7年路程では、避ける道がないというのです。だから、できるならば早くこの御旨を知って、この民族のために出て行きなさいというのです。

本部はソウルに責任を持って、この路程を行かなければなりません。今からは本部が地方に行く暇がないのです。今は、反対しない時代です。ここで反対するようになれば不利な立場になるので、反対できる時代圏は全て過ぎ去ったのです。国も教会も今からは、新しいことを模索しなければならない時代圏が来たのです。全般的に、1つの社会が反対したとしても、国家を中心として、一致した行動のできる時代圏になったということです。今、反対する現象は、一般的に発展する世界においては、あり得る現象なので蕩減復帰する過程では、問題にならないのです。今、統一作戦をしている理由は、摂理的に蕩減復帰歴史をみるのと同じ時点におかれているためです。

それでは、外的に責任を果たせないことを、内的にはどのようにして責任を果たすのですか?今後、このような責任を果たして統一教会の家庭全体を再編成するのです。皆さんが家庭的に責任を果たせなければ、先生は皆さんを再び苦労させなければなりません。言い換えると、7年路程で失敗すると、21年路程を行かねばならないのです。皆さんがもう一度、苦労しなければならないということです。

(1969.5.25.長子復帰に対して)

2次7年路程

皆さんを見ると、いいかげんな者のようですが、何の資格があるというのです?祝福を受けられる資格があるのかというのです。祝福を受けようとして座っていますが、皆さんが統一教会に来て、数年間にしたことは何でしょうか?祝福というのは、ただ来て、座っていれば受けられるというのではないのです。千年の功を積んで、万年の功を立てた後に、その後孫たちが来て、厳粛に千万回の敬礼を捧げながら、更に天上世界と地上世界の万民が仰ぎ見ながら、その時の栄光を賞賛する中で祝福を受けなければならないのです。果たして、皆さんは、そのようにできるのですか?

だから皆さんは、先生を通して祝福を受けなければなりません。これが蘇生祝福なのです。この祝福は、完成級の祝福ではありません。堕落圏において、長成期完成級を超えるためのものです。祝福を受けて信仰の3子女がいれば、長成期完成級を超えていけるのです。その後に7年路程があるのです。祝福を受ける前にも7年路程があり、祝福を受けた後にも7年路程があるのです。先生も、そのような路程を経てきたのです。2次7年路程が何であるのか分かりますか?復帰した家庭を立てながら7年路程を行かなければなりませんが、これが第2次7年路程なのです。

それでは何故、7年路程を行かなければならないのでしょうか?統一教会が家庭を探さなければならないからです。分かりましたか?統一教会は、家庭のための宗教なのです。個人のための宗教ではありません。今までの宗教は個人のための宗教ではありましたが、統一教会は家庭のための宗教なのです。そうならば、新しい国を立てることができるのです。過去の宗教は1人。即ち、個人を中心としたので、国を探せなかったのです。家庭を探せなかったので、国を立てることができなかったのです。霊的な国だけしかなかったのです。この地上に、国の基盤を立てることができなかったのです。だから、先生が2次7年路程を超えて行ったのです。

今から神様の日を決定しようとすれば、先生が3次7年路程を超えなければなりません。

完成段階の基準を立てながら、神様の愛を証しなければならないのです。そのような段階を超えれば、神様の日を決定することができるのです。

それでは、ここにいる皆さんは7年を超えましたが、もう一度、7年路程が残っていますか、残っていませんか?

「残っています。」 皆、残っているのです。これが、祝福を受けた家庭が行く路程なのです。この道を行けなければ、皆さんは祝福を受けたとしても、天国に入籍できないのです。天国の門は全て開いていますが、この7年路程を超えることができなければ、入っていくことができないのです。礼服を備えなければ入れないのです。入っていけないのです。

先生が皆さんに、このような原理の内容を教えてあげたのにもかかわらず、もしも皆さんが、これを実践できない時には、先生は責任を負わないのです。皆さんが原理的見解で、原則的な責任を負う立場に立つ時、先生が皆さんの責任を負うのです。分かりましたか? 「はい。」

祝福を受けた後に、一度は分かれなければなりません。だから今度、祝福してあげて、少なくとも約6ヶ月間、分かれさせようと思います。皆さんは南北に分かれながら、今から自分が復帰できる道を探しながら超えて行かなければなりません。これをしなければ、祝福を受けたとしても、天国に行くことができないのです。これが原理的です。分かりましたか? 「はい。」

1970年代を中心として世界運勢と世界情勢をみるときに、全てが1つの穴を通して追いこまれているので、これを調整しなければなりません。料理しなければならないということです。1970年代を迎えて、これをするのか、できないのかということが問題です。このことを、1970年代にしなければならないということです。

だから勝共大会など、いろいろなことをするのです。先生が早々に、水澤里に修練所を建てようとする理由も、ここにあるのです。望んでいた時が来たというのです。この時を見逃してはならないのです。この時に、全てのことをしなければならないのです。冒険でもしなければなりません。だから、それをしているのです。しかし、今度の修練会と重なったので、建物を建てないできました。今日も皆、集まって指示しているのです。時を見逃してはならないからです。

(1970.3.23.祝福に関して)

なぜ7年路程を行かなければならないのか

このような立場でみれば、我々は内外に1つにならなければなりません。我々は思想的に、精神的に強力に結合した団体にならなければなりません。世界のどこの団体よりも強くなければなりません。我々の思想は、個人主義的な思想ではありません。個人が主張する主義は、全体を代表することのできる思想であり、家庭が主張することは、世界を代表して主張することと同じなのです。このような家庭を中心とした民族が主張することは、今後の時代において、どんな民族も主張することができないのです。その主張自体が、最初であり最後であるので、完全な基準にならなければ、なりません。これを連結させなければならないのが、第2次7年路程の3年を迎えた70年度なのです。これを皆さんは知らなければなりません。

このような意味で今から皆さんは、今までと同じように迎えた立場で‘父母の日'を迎えてはならないのです。今までは、先生の家庭が、位置を掴むための過程で迎えた’父母の日’でした。先生の家庭を中心として、歴史上の全てのことを蕩減させる過程で迎えた父母の日でした。今からは、全てのことが蕩減されて、内外が1つになれる時代圏で、‘父母の日’を迎えなければなりません。このような意味で、70年度に我々が迎えた’父母の日’は、歴史的な‘父母の日であることを、皆さんが知らなければなりません。

それでは、皆さん自身を中心としてみるとき、皆さんに7年路程がいつあるのですか?先生が7年路程を立てた時から家庭的な7年路程を行く時までの期間が、先生における21年路程です。アダムとエバが長成期完成級で堕落したために、長成期完成級の位置までは家庭が行く路程ではなく、個人が行かなければならない路程なのです。先生の立場では、個人で行くべき第1次7年路程と第2次7年路程を既に経たために、家庭を中心として完成期に向かって、第3次7年路程を行かなければならないのです。このようにして立てられた7年路程であるという事実を、統一教会の信徒たちは忘れてはならないというのです。統一教会が60年度に出発した第1次7年路程は、先生個人を中心としてみるときは、第3次7年路程でした。

このような事実を推察するとき、皆さん自身の7年路程の期間はいつですか?人間は、誰でも7年路程を行かなければならないのです。これは、絶対的な公式なのです。この7年路程は、誰が行かなければなりませんか?家庭が行かなければなりません。この7年路程を経て長成期完成級を超えつつ、神様の直接主管圏まで上がって行かなければなりません。これは、1人ではだめなのです。長成期完成級で人間が堕落することによって、神様と人間がお互いに分かれてしまったのです。だから、この基準を超えて、父母と子女と万物が1つに糾合された条件を立てて、神様を中心として結束しなければなりません。先生にはそのような基盤があるので、皆さんの家庭は滅びても、先生の家庭は滅びないのです。

言い換えれば、完成圏内に立った先生の家庭は、完全に神様に侍ることのできる基準にあるのです。先生が完成圏内に入った時が、誰もが平面的に迎えることのできる’父母の日’であり、誰もが迎えることのできる‘子女の日’であり、誰もが迎えることのできる万物の日であり、誰もが迎えることのできる‘神様の日’です。だから、個々人が迎えることのできる日であるのです。これを皆さんが、はっきりと知らなければなりません。

家庭的7年路程がある前に、皆さん個人の7年路程がなければなりません。歴史過程で家庭を成すために、長成期完成級までの成長過程があったのと同じように、準備された期間がなければならないのです。歴史は、そのような期間を中心として綴られてきたのです。

今まで6千年の歴史は、7千年歴史として超えて行くための神様の復帰歴史時代に該当する期間です。神様は、このような7千年の歴史を経て、1人の完全な男性を探しているのです。だから7年路程を行かなければならないのです。しかし堕落した人間は、7年だけで終わるのではないのです。蕩減する7年期間がなければならず、成就させる7年期間がなければならないのです。何のことかわかりますか?

言い換えれば、堕落する前の基準まで探し上がって行く7年の期間があり、そこから闘って、完成の位置まで行かなければならない7年の期間がなければならないというのです。これは皆さんを中心として見るとき、皆さんは先生よりも1段階落ちてしまっているので、第2次7年路程は、皆さんが蕩減するための第1次7年路程に該当するのであり、先生にとっては成就させるための路程に該当するのです。だから第2次7年路程には、国家を中心として談判しながら勝たなければならないのです。

(1970.4.6.70年代を迎えた我々の決意)

祝福の位置

更にもう1つ、皆さんが知らなければならないことは、皆さんが祝福を受ける位置は、完成した位置ではないということです。父母が歩んだ十字架の橋があれば、その橋をそのまま歩まなければなりません。飛んで行くことができないのです。山の頂上に上がって行く時に橋を渡って行かなければならないのならば、その橋の危険を避けるためには鉄筋で完備して道を作ることができるかもしれませんが、橋の上を渡ることは、どうすることもできないのです。だから先生が歩んだ7年路程は永遠に残されるのです。個人的7年路程と家庭的7年路程があるのです。この道は永遠に残されるのです。人間は長成期完成級で堕落したので、そのままでは完成段階に上がることができないのです。人間が長成期完成級で堕落したために、堕落した、その線上以上に上がれば、初めて原罪を脱ぐことができるようになるのです。長成期完成級で脱ぐのではないのです。そうではないですか?

従って、皆さんが祝福を受けようとしている位置は、完成期完成級ではなく、長成期完成級であるという事実を知らなければなりません。堕落したアダムとエバを中心として、カイン・アベルセツと、彼らの相対を含めたアダム家庭の8人食口が、みな落ちて下がってしまったので、神様の前に蕩減条件を立てて、再び完成級に向かって入っていくという位置なのです。

そこからは、父母の愛を感じなければならないのです。生命の起源は、父母の愛を通して生まれるのです。このような生命の価値を、世界の何よりも尊重することのできる位置を経て行けば、新しい道を行くことができるのです。原理がそのようになっているのです。

(1970.10.19.聖酒式と血統復帰)

誰もが行かなければならない7年路程(2)

ここで皆さんは、統一教会で設定した‘父母の日’‘子女の日'‘万物の日'に、どんな意味があるのかを知らなければなりません。アダムとエバが堕落する時、長成期完成級で堕落しました。ここで偽の父母が現れて悪がもたらされたので、神様は反対に善なる父母である真の父母を現わせながら、善で対処させておかなければならないのです。

これは、何の基盤にならなければなりませんか?家庭が基盤にならなければなりません。アダム・エバが偽りの愛の因縁を結ぶことにより、悪の結果を産み出したので、失ってしまった善の結果を再び探し立てなければならないのです。そのために、来られる再臨主は、アダム・エバが失ってしまった父母の因縁を天の側と再び一つになった立場で、代わりに備えなければなりません。そのようにして、神様を中心とした愛の因縁を連結しておいて、祝福の基盤を成さねばならないのです。そのようになれば、真の父母の因縁が設定され、善の家庭的出発を成すことができるようになるのです。アダム・エバが長成期完成級で堕落して、真の家庭を成すことができる基盤を失ってしまったために、探し出される家庭も長成期完成級の位置で真の父母の因縁を持ってこそ、その家庭が探し出されるのです。

それでは、統一教会の7年路程はどのような人でも行かねばなりませんが、それは何故でしょうか?まだ、人間が行かねばならない完成期が残っているからです。原理主管圏内には、3段階の成長期間がありますが、その期間は完成期まで21年、即ち、20数に該当する満20歳を中心として、完成期まで上がっていくのです。しかし、長成期完成級で堕落したために、完成級まで上がれば、7年が残っているのです。

成長期間が3段階で、1段階は7年に該当します。言いかえれば、アダム・エバが長成期(2段階×7年=14年)で、完成期まで上がって完成しようとするならば、7年が残っているので、まだ7年路程が残っているというのです。ヤコブが7年づつ3回を経て、21年路程を歩んだのもみ旨に対することのできる一つの家庭的勝利の基点になるのが21年だったためです。このように、完成期までの期間が21年路程であるということは、このように証明されるのです。

それでは、これから人間が行かねばならない路程の前には、何が残っているのか?真の父母を迎えることによって大勝利をするのではありません。真の父母はどこまでも、完成期において顕現するのではなく、長成期完成級で顕現しなければならないので、この7年路程という過程を経なくては、完全勝利の結果を生み出すことはできないのです。これは原理的な内容です。このように、人間世界で、世界的な末世を迎える前に、経なければならない7年路程が残っているので、キリスト教で主張する7年の大患難という言葉が出てくるのです。そのために、我々、統一教会人たちが知らねばならないことは、7年路程は好きでも嫌いでも行かねばならない路程であるということなのです。

(1971.1.1.1971年度を出発するにおいて)

7年路程と3時代の試練

皆さんは、 ‘神の日' に対してよくわかっていません。どんなに祈ってみても、わからないというのです。1968年1月1日を期して先生が ‘神の日' を決定したと宣布することによって、わかったのです。先生がその日を宣布するために、どのような道を経て、どのような内容を備えて、どのような談判をしてきたのかを皆さんは知らないのです。これは、永遠に知らないことでしょう。

では、ここ、長成期完成級に上がることによって、1960年度を中心として'父母の日'を設定したのです。しかし、その父母の日は完成的な父母の日ではなく、アダムが堕落する時、未完成圏にいたような、そのような立場での父母の日なのです。そうして、これが7年の過程を経た後、1968年1月1日を期して、完成した神の日が設定されることによって初めて、家庭的に復帰されたのです。

夫婦が個人的に復帰されてはいけません。カインアベルになって蕩減していかなければならないのです。即ち、信仰の基台、実体基台を立てておいて、メシヤを迎えて原罪を清算しなければならないのです。皆さんの原罪を清算するために経る過程が祝福を受ける時の聖酒式なのです。そのようにした後には、7年路程を行かねばならないのです。父母が行ったので、皆さんも7年路程を行かねばならないのです。わかりますか?それでは、この期間に何をしなければならないのか?7000年の歴史を蕩減復帰しなければならないのです。言いかえれば、6000年の歴史と安息する期間である1000年の歴史を合わせた7000年歴史を、この7年間で蕩減復帰しなければならないのです。

蕩減復帰をするためには何をしなければならないのか?天使長を先生が屈服させるのです。その次には、イエス様が先生に屈服しなければならないのです。正に、カインがアベルに屈服しなければならないというのです。イエス様は相対を持てなかったので、霊的なカイン型となっていますが、我々は実体的にその使命を果たさねばならないのです。これが、実体基台を立てるということです。我々はこれを内外全部、備えていくのです。

皆さんは何を先ずしなければならないのかといえば、天使長を屈服させねばならないのです。天使長を屈服させるためには、カインを呼び入れなくてはなりません。そうではないですか?言いかえれば、アベルになるためには、カインを呼び入れなくてはならないというのです。怨讐の子息を呼び入れるためには、神様の愛を受けなくてはなりません。そのために、神様の愛を中心として、そこに完全に一つになったという立場に立ったアベルが決定されなくては、カインを呼び入れることができないのです。皆さんはこれを知らねばなりません。

神様の立場から見れば、天使長の血肉の息子・娘は怨讐の子息です。このような息子・娘を呼び入れるためには、地上に神様の息子の代身になることができるアベルの基準を決定するためには、神様の愛を中心としなくてはなりません。

それでは、神様の愛を中心として何をしなければならないのか?7000年歴史の蕩減路程を行かなければならないのです。これが、神様を代身することなのです。では、行くにおいて、どのように行かねばならないのか?3時代に及び、打たれなくてはいけないのです。神様が3時代に及び打たれたので、皆さんも必ず3時代を通して打たれなければならないのです。即ち、アダム時代に打たれて、イエス時代に打たれて、再臨時代に打たれたのです。再臨時代にはキリスト教が反対したので、打たれたのです。このように、3時代に及んで、打たれたのです。それなので、皆さんも3時代の受難の道を行かねばならないのです。

韓国動乱当時にソウルが何回後退したか?1回ですか、2回ですか?2回後退したでしょう?3回後退してはならないのです。3回には完成しなければなりません。先生も復帰歴史をするのにおいて、その作業をしました。3回の過程を通して成してきたのです。1回で駄目ならば、3回はしなくてはなりません。1回ではたいへんなのです。それなので、3時代に及んで、皆さんは打たれねばならないのです。打たれることによって蕩減復帰、即ち、3時代で解怨成就するのです。

そして、3時代に及んで打たれながら、どうすべきなのか?信仰の子女3人を立てるのです。一番目の信仰の子女はアダム型です。二番目の信仰の子女はイエス型です。三番目の信仰の子女は再臨主型です。このように屈服させた信仰の3子女をアダム家庭に立ててあげるのです。

なぜならば、アダムが3人の息子を連れて落ちていったので、即ち、堕落したので、信仰の3子女を引っ張って行かねばならないのです。これが復帰された時は、息子の使命を終えて、どこに上がっていくのかといえば、父母の立場に上がるのです。そのようにすることで、皆さんは3時代を迎えたという条件を立てるのです。信仰の3子女を探し立てねばなりません。

そうしようとすれば、内的にも、外的にも攻撃してくるサタンに勝たねばなりません。そして、皆さんは3大国家の試練を経なければなりません。先生が3大国家の試練を経てきたので、統一教会も3つの政権の試練を経てくるのです。その次には、3教団の迫害を受けなければなりません。統一教会の怨讐はキリスト教だけでなく、すべてが怨讐です。皆さんは、このような事実をよく知らねばなりません。

今、皆さんが行かねばならない道、誰にでも7年路程が残っているのです。そのために、原理をはっきり知らねばなりません。先生がこれをしているのです。7年路程を行かねばならないというのは、先生が適当に決めたことだと思いますか?そうではありません。先生は全体的な責任を担っているので、このようなことをしているのです。

(1971.5.24.万物の日と復帰の過程)

祝福の意義と基準

堕落が長成期完成級で起こったので、これを原状回復するためには、堕落した反対の経路を通して元返さなければなりません。アダム・エバは、愛の問題を中心として堕落したので、我々の復帰路程においても、その基準に到達したならば、必ず愛の問題として越えていかねばなりません。

今までは、サタンの父母から愛を受けているために、愛の問題を克服しようとすれば、神様の愛を中心とした真の父母の愛に連結されなければなりません。そうでなければ、これを克服する道はありません。それによって、堕落した父母の血統を受け継いだ我々、堕落圏にいる人類は最後には父母を迎えて、縦的に一つとなり、堕落圏を克服する道を訪ね行かねばならないのです。これが原理の立場です。

これを克服するのは、一人ではできません。必ず、男女が組まなければなりません。これが統一教会でいう祝福です。したがって、祝福を自分の好きなようにしてはいけないのです。縦的中心である父母を中心としてしなければなりません。

堕落世界において、堕落の血統を受けて結婚する人々でさえ、自分たちを中心として結婚はしませんでした。父母を中心としてきました。そのように、復帰路程においても、真の父母が現れて、縦的父母として完成するのと同時に、カイン・アベルが一つになることにより、勝利の条件を充足させることができる立場で祝福を成すことによって、堕落の限界を初めて屈服することができるのです。

それは一人で上がっていくのではありません。必ず、祝福という問題を通して長成期完成級基準を克服するのです。即ち、完成期蘇生級に上がることができるのです。祝福を受けた家庭には7年という期間が必ず必要です。3段階の期間である蘇生期間・長成期間・完成期間7年を合わせた21年なので、完成期間7年が残っているのです。これは、今まで誰も行ったことのない位置なのです。

ここで、誰でも7年間を通過しなければならないのが、原理の基準になっているために、統一教会に入ってきたならば、必ず、7年間を通過しなければならないのです。この期間に何をしなければならないのかといえば、人間が堕落する時の父母の心情を継承するのと同時に、失ってしまったすべてを復帰するのです。

人間が堕落することによって、どのような結果が招来したのかといえば、先ず、万物を失ってしまいました。そして実体がサタンに汚されてしまいました。そして心情を奪われてしまったのです。このすべてを蕩減復帰しなければなりません。万物の問題実体の問題心情の問題を完全に神様を中心として解決して完成期間を通過しなければ、完成基準に到達することはできません。これが我々の原理原則なのです。

完成基準に至るまでの7年間は、人類歴史の6000年と、聖書によれば、再臨主が来られた後に千年王国時代が来るので、その1000年を足した7000年歴史に該当します。それをこの7年間に再び蕩減する基準を立てねばならないし、内外が共に勝利の基準を決定していかなければならないのです。

この期間に万物と共に、また、祝福を受けながら、家庭の基準が出発されます。万物を復帰しなければならないし、実体を復帰しなければなりません。そして、心情を復帰しなければならないのです。これを横的に見れば、万物は蘇生で、実体は長成で、心情は完成です。この横的基準というのは今までの歴史的な、そして縦的な摂理をすべて横的に広げておいた基準になります。

それによって、万物の基準は旧約時代に該当し、実体の基準は新約時代に該当し、心情の基準は成約時代に該当するのです。我々が心情世界をつかむようになるのも、それを意味します。3つが完全に一つにならなければなりません。旧約時代は万物を中心として蕩減して、新約時代はイエス様を通して蕩減します。神様の子女、実体を中心とした蕩減時代です。これが、勝利的結果になったために、心情的基準が立てられるのです。そのような家庭基準が地上に初めて立ったという基準が、祝福を受けて立った基準なのです。

(1972.5.7.真の父母と我々)

家庭復帰の完成のための3大十字架路程

そうなので、 「あー、祝福を受けたならば、じっとしていても天国だ!」 と言うかもしれませんが、天国とは何ですか?じっとしていては、滅茶苦茶になるのです。祝福を受けたのは、完成段階ではないのです。皆さんには7年路程があるのです。皆さん、7年路程を学んだでしょう?ここにいるご夫人たち、7年路程は間違いなくあります。このような複雑な内容があるので、神様が6000年かかったでしょう。このような複雑な内容を知って、合わせてくれる人がいなかったので、全能な神様もどうしようもないのです。

皆さんもそうです。皆さんが祝福を受ける時、 「我々は神様の原理原則に従って祝福を受けた。今日から一つになった」 と言いますが、それが一つですか?再び、夫婦の再創造をしなければなりません。わかりますか?お互い夫婦の再創造をするのです。この者達!これを知らないで今まで・・・。祝福を受けたその日から蜜のような、香ばしい、とても楽しい夫婦になると思っていたら、とんでもありません。お互いが再創造しなければなりません。怨恨の夫婦の深い溝を埋めねばならない道が残っていることを、統一教会の祝福を受けた者達が忘れたならば、滅びるのです。私がどんなに滅びないと言っても、滅びるのです。夫婦は神様が願う理想的な復帰完成した夫婦になる目標に向かって、再創造の過程を行かねばならないのです。そして統一教会が言うのは、個人復帰完成、その次には家庭復帰完成、その次には何ですか?家庭復帰の完成というのは、妻だけでなく、子供までいるのです。

そして、自分個人の十字架、妻(夫)に対する十字架、子供に対する十字架、この3大の十字架が私一代に厳然と残っていることを知らねばなりません。イエス様もこれが解けなかったために、ここに引っ掛かって、逝かれたのです。どんな十字架が残っているのですか? 「3大十字架です。」 3大十字架が残っているのです。私個人の信仰の道が易しいですか、難しいですか? 「難しいです。」 どれほど難しいですか?生きるよりも難しいのではなく、死ぬよりも難しいのです。たいへんです。難しいです。ですから、これを主とすべきなのです。

復帰完成は副業ではありません。信仰の道は副業ではないのです。今日、信仰の道を副業とする人が多いのです。このような者は全部、賃金労働者なのです。市場が変われば売られていく人なのです。そうでしょう?賃金労働者になってはいけません。商売をするにも位置をはっきりつかんでしろというのです。誰にも侵入されることのない固定した権威の位置をつかんで生きねばならないのです。賃金労働者のような信仰が多いでしょう?  「お前は統一教会のために死ねるか?」 と言われたとき、「ちょっと考えてみなければ。生きるのは今だけれど、死ぬのは後にしよう!」 と言いますか?死なずして、生きることはできないのです。生きた後に、死ぬのではありません。

(1973.7.29.創造と我々)

僕の僕の段階から超えていかねばならない7年路程

ですから、原理の道は踏んで行かねばならないし、復帰の道は探し行かねばならないのです。すべて探しておいて、原理の道になっているのです。今は、探す必要がないのです。7年路程を歩まなければならないのです。先生が提示したように行けばいいのです。皆さんはイエス様が十字架を背負ってゴルゴダの道を歩むように行かねばなりません。すべてそのようになっているのです。

では、このようにして個人から家庭の荷、氏族の荷、民族の荷、国家の荷、世界の荷をこの7年間で下ろせるようになる時、皆さんは解放の万歳を叫ぶことができるようになるのです。そのような希望の時間が待っていることを知らねばなりません。7年さえ過ぎれば・・・。そのような心を持っていけば、霊界に行ってイギリスの皇帝や立派だったという人々に“見なさい!”と言うことができるのです。なんのことかわかりますか?地上でしなければならないのです。先生は40年路程を行っているのに、皆さんは7年路程も行けないのですか?行けないというのは、泥棒のようなものです。

そのような決意をして、今日この創立記念日を迎えて、このようなみ旨があることを知って・・・。私がはじめに統一教会の看板を掲げる時に・・・。世の中の人はこれを知らないのです。看板が'世界基督教統一神霊協会'です。基督教を統一するのも大変ですが、神霊まで統一すると・・・。その時は先生がお金もなかったのです。部屋に寝れば足がぶつかって・・・。それも借りたものです。そこから出発したのです。今は私がアメリカの50州の全地域に拠点を持ったのです。そして家なども全部立てたのです。皆さんも同じです。どうするのかと言えば、来る人々に僕のような立場から・・・、私は全部やってきたのです。僕の立場で、養子の立場で・・・。こうして私は合格し、解放されていくのです。

ここに責任者達が来ていますね。皆、命令することはできますが、仕えることを知らない者達です。そうなれば、滅びるのです。絶対、伝道もできません。いつ、僕になり、いつ、養子になり、いつ、息子になるために、養父母に対して息子を代身して相続を受けるための僕の役割をしてみたのか、というのです。

また、我々統一協会の女性達は、 「私のような女性には男性という存在は必要ないので、結婚もしない。男性よ、来るな。私は女性ではない。」 と、このようにして行かねばならないのです。私と結婚する男性がどれほど苦労して、骨を折って、どれほどの荷を担うかを考えたことがありますか?女性たち、自信ありますか? 「誰よりも私は堂々としている。」 と言えますか? 「私は道端の乞食でも相対としてふさわしい。」 と、このような考えをしてみたことがありますか?天の人ならば私が・・・。そのように考えたことがありますか?僕の僕から、僕から、養子の位置へ・・・。僕の僕から出発するのです。

私はしてみなかったことはありません。神様の名をかけて、復帰というこの道を探していくのです。僕の僕の代を成し、その代を受け継いでいけば、誰が祝福をしてくれるのか?僕から養子になるのは簡単なことですか?僕が養子になれますか?簡単なことですか?どれほど大変なことかを知らねばなりません。養子が息子になるのは簡単ですか?親戚も誰もいないのに・・・。ここで息子の位置に立って、神様を中心として、イエス様が2000年の間、新郎・新婦になれなかったのに、その峠を越えるのが簡単ですか?どれほど生命を覚悟したとしても、大変なことではないですか?

また、ここで 「私は天の国の善なる先祖になるために、私の息子・娘は宗教を信じなくても天国に行くことができる」 と言うことができる父母になるのは簡単なことですか?皆さんは 「そうです。」 と言うことができる父母になって、 「そうです。」 と言うことができる息子・娘を生むことができますか?自信ありますか?簡単なことではありません。その次には王のように天の国に行って、 「霊界にいるすべての霊人たちは私の部下である。私の後孫である。」 という自信がありますか?その次にはこの地上にいる自分の後孫全部を 「私の後孫だ。」 と、言える自信がありますか?皆さん、そのようにできますか?考えたことさえありますか?皆さんはこの使命をするために、ここに来たのです。

レバレンド・ムーンはこの道を歩んできたのです。僕の僕から、僕から、養子・・・。私は40年間歩んできたのに、皆さんは7年間も行けませんか?私が今、57歳です。私が16歳にこのみ旨を知ってから、40年が過ぎました。40年。その時から平穏な日があったと思いますか?今、先生がこの復帰の道をすべて探しておきました。探し出されたので、行く道がすべて公式化されたでしょう。7年間で行かねばならないのです。車は工場で作ってくれたとしても運転だけは習わないといけないでしょう。先生が車をあげたとしても、ガソリンは皆さんが入れないといけません。その条件は必要です。それはしなければならないのです。それが嫌ですか?それもしないならば、死なないといけません。そのような人は誰が同情しますか?同情してもらえないのです。

では、行きますか、行きませんか? 「行きます。」 今日が5月1日です。わかりますか?今はとてもいい時です。花が咲き・・・。今日、約束しましょう。行きますか、行きませんか? 「行きます。」 そうです。絶対に行かねばなりません。3年間行って、家庭基盤を築くのです。家庭基盤を築くことができたならば、氏族基盤・民族基盤・国家基盤がみな、許諾してくれるのです。それは誰のためにしようというのか?統一教会の為にするのではありません。また、国家のためにするのではありません。これは自分に該当する、自分自身にだけ該当することなのです。我々は僕の僕から、僕から、養子の段階・・・。すべての段階を越えなければなりません。

(1977.5.1.協会創立24周年記念と神様の摂理歴史)

僕の僕の位置から僕の位置に超えようとすれば

復帰歴史は、救援歴史は再創造歴史ですが、我々が再創造歴史をして行くにおいて、3段階の過程を経ていかねばならない。神様に人格的基準を中心として見る時、どのような過程を経なければならないのか?神様がいらっしゃって、次にアダムとエバがいて、次に天使がいました。神様は主人であり、アダムとエバは神様の息子・娘で、天使は僕でした。しかし、堕落することによって、我々人間がどのようになったのかといえば、僕が堕落をして人間を主管しました。それなので、人間は僕の僕の位置に落ちたのです。僕の扱いも受けられない、そのような位置に落ちたのです。僕さえもできない位置に落ちたのが堕落だというのです。

それでは、人間が本然の位置に帰ろうとするならば、どうしなければならないのか?神様の息子・娘の位置に帰ろうとするならば、必ず、僕の僕の位置から元返さなければなりません。反対にして戻っていくのです。それが蕩減復帰なのです。そのまま越えていくのではなく闘って蕩減して越えなければならないのです。汚されたので、反対にそれを消し去って、越えなければなりません。そのために、人間は歴史過程を通して、僕の僕の位置から、僕の位置に復帰していかねばならないのです。これが何かといえば、旧約前時代から旧約時代までの歴史なのです。わかりますか? 「はい。」

それでは、僕の僕の位置で、僕の位置に行こうとするならば、どうしなければならないのか?この僕というのはサタンです。我々人間を僕の僕として主管しているのが、堕落した天使長なので、天使長より優れなければならないというのです。それが、どのような基準か?堕落しない天使長の基準です。その基準に立たなくては、堕落した天使長を屈服させることができないのです。これが、我々の信仰の本質的な路程です。

サタンと戦って勝たねばなりません。勝てない人は天に返ることができません。勝とうとすれば、どうしなければならないか?どこまでも堕落したアダムの基準が問題です。堕落したアダムが問題だというのです。アダムが成せなかった理想の使命を成さねばなりません。アダムが何をできなかったのか?神様を絶対的に信じることができませんでした。神様のみ言を絶対信じることができなかったのです。

それなので、アダムより優れようとすれば、神様のみ言を絶対に信じなければなりません。その次に、アダムは神様のみ言を中心として実践できませんでした。これが堕落です。神様を信じることができずに、その次には何をできなかったって? 「実践できませんでした。」 では、実践した後は、どうなるのか?神様の愛が連結されるのです。本来、堕落しない人間が行かねばならない道は、神様のみ言を信じて、実践して行かねばならないのです。そうしたならば、その次に何が現れるのか?神様の愛が待っているのです。神様の祝福が待っているのです。しかし、アダムが堕落することによって、天に行って探さねばならないものを、探すことができませんでした。そして、今日、我々は反対にこのような条件に従って、その位置に再び出ていかねばならないのです。

そのために、絶対的な信仰、絶対信仰が必要なのです。絶対的に信じれば、再創造歴史を行うことができるのです。このようになるのです。なぜ?神様への信仰の中で、神様が願う位置に入っていくのです。そうなれば、奇蹟も可能なのです。それなので、絶対的に信じて、絶対的を行わねばならないのです。ここでは、サタンも屈服するのです。そうではないですか?

アダムが絶対的に信じられたならば、天使長が堕落する道がありますか、ないですか? 「ないです。」 では、アダムが絶対的に実践できたならば、堕落する天使長が現れますか?現れないというのです。絶対的な信仰、絶対的な行動だけが、これから蕩減することができる要因となるのです。このようになるのです。

(1975.1.26.祝福)

僕の僕の位置から養子の位置に行けば祝福を受けることができる

そして、四方を見回して私が一生懸命することは、息子を見ても恥ずかしく、父母を見ても恥ずかしく、その次には、先祖を見ても恥ずかしく、村を見ても恥ずかしく、国を見ても恥ずかしく、世界を見ても恥ずかしく、恥ずかしいことを知ってこそ、屈服することができるのです。それを知らねばなりません。父母と村を愛し、国全体の前に私が、まだ一生懸命やってはいないのではないか、と感じてこそ、屈服するのです。いつ、サタンが屈服して、いつカインが屈服するのかを知らねばなりません。いつ、僕が屈服するのかを知らねばなりません。そして、村で“サタンの子息よ、お前が死ね!”となれば良いのです。そうすれば、サタンが・・・。わかりますか?

皆さんたち、そのように迫害を受けましたか?皆さんは僕の僕の位置に行ってみましたか?皆さんは言葉だけは聞いたでしょうが、それをしてみたのか、というのです。統一教会の教会員たちは全部、この位置に行けと言えば、一人も残らず、皆、逃げ出すでしょう。特に、アメリカ人は・・・。

この僕の主人が見る時・・・。この者は僕の僕です。その僕の主人が(その者を)見た時、“この者をここにおいていくことはできない。我々の家に連れて行こう。” また、 ”あなたにこの者はもったいないので、私に下さい。” などという具合になるわけですが、主人の家に行って楽かというと、そうではありません。 “この者を連れてくれば、お金も儲かるし、何をさせても食べて行けるので、我々の家の暮らしが良くなる。” と考えて、連れてきたら死ぬほど仕事をさせるのです。お金を稼ぐようにいろいろな仕事をさせるのです。その者を使って、食べていくのです。そして後で、 “牛を買ったのもその者(アベル)のお陰だし、土地を買ったのもその者(アベル)のお陰だった。” と、このように村の人に言いふれまわし、 “財産すべては、あの者(アベル)が入ってきて全部作ったもので、主人は一つもやっていない。この主人よ、死ね!” と噂が出る様になって初めて、その主人が “私の土地を一つあげよう。” と言って、分け前をくれるのです。そのようにして受ければ、僕が養子の位置に行くことができるのです。養子の位置。そのままでは行けないのです。私の所有を持って初めて祭事を捧げることができる立場に立ってこそ、養子圏内に行くことができるのです。それで養子になります。

そのようになれば、養子が祭物を捧げる時、サタンが讒訴することができる何の条件がないのです。皆さん、養子の位置がどのような位置か、わかりますか?これをはっきり知らねばなりません。皆さんの中で祝福を受けた者たち、わかりますか?この養子の位置に行って、ここで天の為に忠誠を尽くせば、天の祝福を受けますが、沢山の財産を得たとしても、その財産を自分が稼いだというのではなく、来られるメシヤ、即ち、息子のために稼いだと思わねばなりません。そうしてこそ、養子になるのです。“私のために稼いだので、私のものだ。”と考える人は絶対に天の国の息子・娘の位置に行くことはできないのです。なんのことかわかりますか? 「はい。」 これは皆さんたちが行かねばならない道です。言葉だけではなく、行かねばならない道です。これを行かねばなりません。

そして、この養子圏を中心として家庭をつくり、国家をつくり、世界をつくっておいて、“神様の真の息子よ、来たりませ!”と言わねばなりません。これが何かといえば、宗教圏です。はじめて、神様側の僕といえます。これが神様側の僕です。これが。この養子圏が神様側の僕なのです。そのようにして、世界的に作ったのがユダヤ教であり、キリスト教であり、これが統一教会だというのです。これが天側の天使長です。僕が何かといえば、天使長側であり、天使長側が何かといえば、カイン側です。天の側のカインなのです。

皆さんは何の位置ですか?皆さんの位置がどこなのか、皆さんたちがどのような位置にいるのかを知らねばなりません。1970年代の内容を知って越えて行かねばなりません。皆さんは何の位置にいますか? 「僕の位置です。」 どの側の僕の位置? 「天側の僕の位置。」 では、皆さんはサタン側でこのような使命をすべて果たしておいて、村中がみな理解して、世界がみな理解して'よくやった”という噂が流れ“レバレンドムーンのどこが悪い!”というようになる時が来ました。なんのことか、わかりますか?

この道を行かねばなりません。この道を行かずしては祝福を受けて結婚生活をすることはできません。まして子供を生むことはできません。この道を行かないで子供を生むことは罪です。それは十字架です。これを背負って行かねばなりません。そうしなければ子供に苦労をさせることになります。そのために、終わりの日には、子供を妊娠している女性には罪があるというのです。今日、キリスト教はこの立場にいるので、養子の立場を経なくては結婚できないので、独身生活なのです。新婦、淑女が皆、独身生活をしたのです。なんのことかわかりますか?

高次的な宗教であればあるほど、独身生活を強調したのは、この運命の為なのです。この養子圏を満たすために、この使命をしなければならないというのです。そのために、宗教徒は全部、独身生活をしなければならないのです。

この僕の僕の位置を経て行く時、妻がいたら、どれほど大変ですか?子供もいて、迫害を受けて、受難を受けながら耐えられるか、というのです。どれほど大変な苦痛ですか?それで、レバレンド・ムーンが現れて何をしたのかといえば、僕の僕から、これを中心として気が遠くなる内容を切ってしまって、養子の道理を、養子の特権を付与する恵沢を与えてきたのです。

(1979.12.30.摂理から見たアベル)

養子は直系の息子が現れれば再び僕の僕から上がらなければならない

宗教をおいて見る時、アダムは誰か?アダムの創造の実体として現れたのが、アダムを再現するのがメシヤです。今日、宗教自体の目的が何か?結局、メシヤを再現するのです。アダム一人つくるためなのです。

アダムは小さい赤ちゃんから、腹中にいる赤ちゃん、一つの種から始まります。腹中から、このような段階を経なければなりません。腹中時代から、その次には生まれた後の地上時代、その次には霊界・・・。霊界まで3段階の3時代を経なければならないのです。腹中時代の10ヶ月、その次にはこの世の時代の100年、その次には霊界の万年時代、この3時代の再教育過程にとどまっています。気が遠くなる話です。良くて気が遠くなるのですか?気が遠くなれば、死ぬといいます。しかし、気が遠くなれば、死ぬのではありません。皆さん、それを知らねばなりません。統一教会はいい加減にしていける所ではありません。

先生がこのように話すので、先生もこのような生活を実際にしなければならないのです。“天下よ、世界よ、現れよ!私は小さい一人の男だが、お前がいくら攻撃しても、私の行く道を塞ぐことはできない。”と言うのです。私は前進だけする男で、後退はしないのです。一歩でも前に行きます。後退はしないのです。そういうスタイルなのです。わかりますか?昼でも夜でも統一教会の文先生は今まで休みませんでした。昼も夜も一貫しているのです。わかりますか?

今回、マッチングしたのも24時間ぶっ続けでしました。日本に行っても8時間半で約800双をつくりましたが、これがどれほど大変かわかりますか?皆さんでは見ることさえもできないことです。そのようなことが可能なのです。こんな話をすれば、きりがありません。もう1時間経ってしまいました。皆さん、養子になりたいですか、直系子女になりたいですか? 「直系子女になりたいです。」 欲深い人に聞いてみることもないですね。では、男も女も同じですね? 「はい。」 今わかったでしょう。堕落しない完成した天使長より優れなければ、養子の位置に上がれないのです。しかし、1000万の養子よりも神様は直系子女一人を望みませんか? 「望みます。」

それなので、このような観点から、メシヤは必ず現れなければならないのです。養子のようなものは誰も望まないのです。どれだけ養子が多くても直系の息子が一人出てくれば、養子に対して関心がありますか、ありませんか? 「ないです。」 どんなに宗教が多いといっても、息子さえ現れれば、宗教がなくても? 「いいです。」 それなので、旧約時代に4000年間どんなに良く信じたといっても、それが養子圏を準備するために基盤だったならば、その基盤がどんなに良くできていたとしても、直系の息子のための基盤になれないならば、これは全部掃き捨ててしまうのです。わかりますか?このように摂理するのです。

それでは養子になった立場で、息子が現れれば、その養子は何の資格者になりますか?言ってみなさい。息子が現れれば、養子はどのようにしなければならないか?それが問題です。養子として、直系の息子に、“チェッ!この者が我々の相続権を全部奪っていく泥棒野郎だ。”と言って、彼を捕まえて殺すのですか? 「いいえ。」 こうしたのがユダヤ教です。

神様の息子も何もすべて泥棒だ、というのです。だから盗人のように来るというのは一理あるのです。泥棒です。そうではないですか?その人が来るために養子権剥奪、そして養子の所有権全体が剥奪されるのです。直系の息子がいなければ、その家全体が自分のものになったのに、直系の息子が現れることによって、全部、滅んでしまうのです。

しかし、ここで養子が祝福を受けることができる一つの道は神様の僕の僕になるという道です。サタンの、僕の僕の立場ではありません。滅ぼうとする者は興り、興ろうとするものは滅ぶのです。同じです。死なんとするものは生き、生きんとするものは死ぬのです。

それでは、このような過程にいる養子は、息子が現れるようになれば、その父母の前に現れることがむしろ父母の心を傷つけることを知らねばなりません。“私は名前もない僕の僕の位置に行こう。民のなかで最低の身になろう。”と考えねばなりません。万一、息子が生まれたのに、無作法に振る舞い父母の前に現れて目配せもできずに父母の気分がいいですか? “むしろ、いなかった方がどれほど良いだろうか。” となるのです。それを知らねばなりません。それなので、名もない僕の僕にならねばなりません。その家に僕がいるでしょう。その家の何にならねばなりませんか? 「僕です。」 僕の僕にならねばならないのです。

(1975.1.26.祝福)

僕の僕の梯子から僕、養子、庶子、実子の梯子をかければ

それでは、天は今まで歴史時代にどのようにしてきたのか?この僕の僕を教育するために準備してきました。その僕の僕が誰か?お兄さんです、お兄さん。お兄さんですが、弟を殺そうとする怨讐です、怨讐。刀で首を切ろうとする怨讐です。そして、この怨讐の怨恨を誰が正すのか?サタンは不可能です。神様だけができるのです。わかりますか?それで、このような運命の道を行く宗教は迫害を受けるのが正常的な道にならざるをえないのです。見なさい。梯子をかけるのです。僕の僕の梯子をかけねばならないのです。梯子ひとつで、動かせれば良いのですが、動かせないのです。全部にかけなければならないのです。ある人が僕の僕の立場に立って教育を受けて、勝利することのできる立場で、天の側になったとしても、そのまま行けないのです。全人類と共同運命にあるのです。

これは一人の人間なのです。人類を一人のアダム・エバとしてみるのです。わかりますか?アダム・エバが分かれたというのです。一人の人が僕の僕になって、一人の人が僕になって、一人の人が庶子になって、一人の人が息子になっているのです。すなわち、一人の人が堕落したエバになっていて、一人の人が堕落したアダムになっ

ているのです。そうして、サタンを王として天の国の背反者になっているのです。ですから、一人の人が完成することによって、この全体が完成することができるとみるのです。故に、一人の人を再創造しなければならないのです。男性を再創造してエバを再創造してこそ、息子・娘を探すことができるのです。そのような意味で、統一教会の真の父母という言葉は凄まじい言葉だというのです。

神様の復帰摂理というのは、今まで6000年間、人間の歴史は80万年だといわれますが、その歴史過程で、アダム一人を探すのです。それで、恨になっているのは今まで、そのアダム一人を探すことができなかったということなのです。そのアダムがエバと怨讐で、息子・娘と怨讐で、その息子・娘のなかでカイン・アベルが怨讐です。それを全部、探しておけば、億万年を越える歴史になるのです。それなので、このような受難を代表することができるひとつの核心存在を立てておいてこれを短縮する摂理をせざるをえないというのです。

それを計画したのが、その時代の霊的指導者です。世界的な文化圏を中心として、4大宗教圏を中心として、今まで役事しているのです。キリスト教文化圏、回教文化圏、極東文化圏、インド文化圏と、この4大文化圏を中心として、その時代と環境に従った収拾方案を立てておいて、東西南北のような四方圏に個人的責任者、家庭的責任者氏族的責任者、国家的責任者、世界的責任者が出てくるのです。それは、全部違うというのです。ある時代において、世界的責任者が出てきて、これを全て収拾しなければならないのです。これを収拾しようとすれば、全部、縫い付けなければなりません。わかりますか?

こうしておいて、梯子を作って、その梯子を世界の頂上に登って、そこに昔に堕落したすべてのものを、心情的規範に違反したすべての事実を、怨讐圏を全て解消しておいて、“怨讐はありません。神様と我々人類始祖アダム・エバと、完成したアダム・エバと完成してアダム・エバの夫婦と、完成したアダム・エバ夫婦の息子・娘と、ここには戦いがひとつもありません。と言えてこそ、天国に入っていくのです。

では、これを考える時、これが救援摂理の目標であり、キリスト教を立てて歴史的な宗教を立ててきた神様のみ旨であることを誰も想像できなかったのです。これを連結させなければなりません。わかりますか?僕の僕から連結させなければならないのです。これを連結させるにおいて、上がっていく梯子があるというのです。僕の僕の梯子から、僕の梯子、養子の梯子、その次には何? 「庶子。」 庶子の梯子、その次は何? 「息子。」 息子の梯子、その次には何? 「妻」 妻!これを今まで宗教が責任を背負ってきたのです。そしてメシヤが来る時、妻を中心としてこれをずーっと掴んで引っぱって来ながら、アベル世界、アベル国家、アベル氏族、アベル家庭、アベル個人と連結されるのです。

そしてメシヤが来て初めてこれが動かされるのです。動かされて二つの世界を比較してみる時、サタン自体が実体メシヤと神様の前で言うには、“私は負けました。あなたは間違いなく世界的な立場で勝利しました。あなたは今、私と何の関係もなく、この世界と国家、民族、氏族、家庭、父母と息子・娘を連れて天の国へ行くことができます。”と言って全てが終わるのです。

そのためにイエスは誰を探すために来たのかと言えば、妻を探しに来たのです、妻。新婦を探しに来たのですが、その新婦が一人ですが、ただの一人ではありません。世界を代表したキリスト教全体を息子・娘としてみるのです。その上に立った新婦を中心として......。その新婦は父母を中心として完全に絶対一つにならなければならないのです。反対する人はいなくならねばなりません。サタンが24時間どんなに囁いても反対しない人でなければなりません。全部が反対する立場でも、絶対反対せずに、神様の前に完全に一つとなって、サタンの前に怨讐となる立場に立たねばなりません。そうしてこそ、堕落世界と天の世界の境界線が決定されるとみるのです。わかりますか?

(1981.10.18.心情的蕩減条件を通した救援摂理)