真の家庭と私


一九九五年九月十四日 東京 東京ドーム
韓鶴子女史による講演

尊敬するブッシュ大統領御夫妻、御来賓、そして満場の皆様。再び皆様にお目にかかれましたことを、心からうれしく思います。私にとっては、今回が四度目の日本訪問となります。

私たち世界平和女性連合は、創設以来三年目を迎えました。昨年の十七万組の韓日姉妹結縁に続き、今年は一月以来、既に六千組以上の日米姉妹結縁をなしてまいりました。日米姉妹結縁は、第二次世界大戦後五十年を迎える日米関係において、新しい未来を切り開く重要な行事となり、日米両国は過去の敵対関係を超えて、最良のパートナーとしての絆を再び強化するようになりました。

ブッシュ大統領御夫妻は、その特別ゲストスピーカーとして、何度もお話しくださいました。そして、このたびは、わざわざ日本までお越しくださいましたことに、心から感謝申し上げます。

心と体の闘争はどこから?

きょう、私がお話ししたいテーマは、「真の家庭と私」です。世界で今、最も深刻な問題は家庭の崩壊です。果たして、真の家庭とはどのようなものでしょうか。

今日、私たちが生きている世界は、善の世界か、それとも悪の世界かと尋ねられると、誰もがみな「悪の世界」と答えるでしょう。では、なぜ悪の世界なのでしょうか。それは、世界中のどの国の歴史を見ても、戦争の歴史を繰り返してきたからです。

もし世界が悪いと言うのなら、そこに属する日本もまた悪い国と言わざるを得ません。したがって、そこに属している私たちも悪いということになります。

自分自身をよく吟味してみますと、心と体が戦っているという事実を否定することはできません。そして、この戦いの起源はいったいどこにあるのかが問題になります。もし私自身の中に平和の基地がなければ、どんなに家庭が平和であっても、国や世界が平和だとしても、私自身が闘争している限り決して幸福とは言えないからです。

皆様も御存じのように、第一次、第二次、第三次世界大戦(東西冷戦)も終わりを告げました。しかし、私たちの内部における心と体との戦いは、昔から現在に至るまで、さらに未来にわたって継続する戦いであることを否定することはできません。

このように考えた時、もし神がいるとすれば、私たちの内部の心と体との戦いを、なぜこれほどまで歴史を通して継続させてきたのかが、大きな問題になります。

人間が罪を犯したとしたら、罪を犯したその人が蕩減(罪を償う)のは当然です。神は罪そのものに責任をもつことも、これに干渉することもできないのです。

では、心と体が戦うようになった出発点はどこにあるのでしょうか。私たちの生命は、父母から受け継ぎました。そして父母は祖父母から生命を受け継ぎました。このようにさかのぼっていくと、心と体の戦いの起源も、人類の最初の先祖の立場にまでさかのぼることになります。

人間はみなサタンの後孫

すなわち、人類の最初の先祖であるアダムとエバに何らかの問題があったためであると考えられるのです。しかもその問題は、アダムとエバの愛の問題であると言わざるを得ません。生命の起源は父母の愛から始まるからです。

私たちの生命が出発する以前から、このような戦いが始まっていたとしたら、父母が愛する、その愛の在り方そのものが問題になったと考えられます。

アダムとエバの愛が喜びの愛となり得ず、相反する愛の起源から、私の生命が根を下ろしたために、私たちの内部の紛争が始まったのです。

聖書には、アダムとエバが堕落することによって、エデンの園から追い出されたと記録されています。追い出されたのち、彼らが子孫を繁殖したことは事実です。彼らは、神のもとではなく、サタンのもとで結婚式をしたのです。

堕落は、サタンによってエバが誘惑され、次にエバがアダムを誘惑することによって起こりました。つまり堕落は淫乱によって始まったのです。そのような願わざる関係によって、人類始祖はサタンと一体となり、善の先祖となれず悪の先祖となり、悪なる愛と、悪なる生命と、悪なる血統の根をもつようになったのです。

このことが事実ならば、私たちは堕落した人類の後孫ということになります。家庭や民族を越えて、国家や世界まで発展してきた今日の人類五十億は、みなサタンの後孫であり、悪の父母の血統を受け継いでいることを、否定することはできません。

私たちの体内には、神が最も嫌う姦夫であるサタンの血統がうごめいているという事実を、今日まで誰も考えることができませんでした。これが最も重要な問題です。

善悪が分立、闘争してきた歴史

では、悪の根源を、どのようにして清算できるのでしょうか。サタンは、悪なる愛の根をどこに下ろしたのでしょうか。私たちの体、すなわち私たちの肉身に下ろしたのです。

もし人間が堕落しなかったとすれば、心身が一つになることはごく自然な道理でした。ところが堕落によって、天に属する良心と、これに反する体とが互いに衝突するようになったのです。ここから心と体の闘争の歴史が始まったということを、私たちははっきり認識しなければなりません。

神は、善悪分立の歴史を通して、悪から善へと転換するしかありませんでした。神は公的な立場で、全体のために生きる道をたどりながら、愛と平和を再創造されるのに対して、サタンは私的な立場で、歴史を通して全面的に善の側を破壊しようと、憎悪による戦争を引き起こしてきました。人間が永遠に神の側に行けないように、地上と天上の両世界を滅ぼそうとしてきたのです。

神は善の立場に立っているので、サタンの側に回ってしまった人々を打つことができず、人類を取り戻すために、かえって天の側が打たれて奪ってくるという作戦をとってきました。一方、逆にサタンは人々を打ちながらも奪われてきたのです。

終末期になれば、サタンは今まで霊的に人類を支配してきた位置を神側に奪われるようになるので、「神はいない」という無神論を提示し、人本主義と物本主義、共産主義の出現をもたらし、天の側に立つ右翼とサタンの側に立つ左翼との闘争を世界的に展開してきました。そしてついに、天の側の勝利によって、第二次世界大戦以降、キリスト教文化圏を中心として、人類は最終的には勝利と平和へ向かう大転換時代を迎えるようになったのです。

今日の時代は、個人主義王国時代であり、真の愛を中心とする天の家庭を完全に破壊させたフリーセックス時代、父母否定時代、夫婦否定時代、そして子女否定時代であり、またホモセクシュアルやレズビアンによって、理想家庭を求める天の側を完全に破壊する地上地獄時代となりました。これを天国に転換していくのが、メシヤ再臨の使命なのです。再臨されるメシヤは、真の父母として、心身の統一、夫婦の統一、親子の統一を願われているのです。

神の創造を認めるか否か、それが問題

今、世界的な問題は、私的であるか公的であるか、物質が先か精神が先か、無神論か有神論か、実在論か観念論か、進化論か創造論かということです。これをはっきりしなければなりません。

例を挙げて考えてみましょう。動物世界では、生まれる時に、まず目が最初に生ずるようになっています。目自体は物質です。目は生まれる前から、太陽があることを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。物自体である目は何も知らずに生まれてきましたが、太陽を見られるように生まれたということは、目が生まれる以前から、太陽のあることを知っている存在があったことになります。すなわち、目は太陽があることを知っていて生まれたのです。

目自体は、空気があることも、埃が飛び散っていることも、蒸発による乾燥があることも知らなかったとしても、既にそれらを知っている存在があって、目を守るために、瞼が準備されたり、涙腺をもって防備させたりするのです。

結論を言えば、このように、私たちは思惟と存在、精神と物質、観念と実在、有神論と無神論、創造論と進化論、等々の問題を解決することができるのです。したがって、すべては確実に、神によって創造されたということを否定することはできません。

ここで私たちは、本然の神の理想世界に戻って、神の願われる家庭と私と世界とを、はっきりと知らなければならないのです。そのようにして、堕落後に生じた私たちの周辺の複雑な関係を、解明しなければなりません。

体を打って心を立てるのが宗教

私たちの心と体を見ると、体は地獄の基地、良心は天国の基地になっていて、私たち自身は二つの世界の分岐点に立っています。そのことを、私たちは今まで知らなかったのです。このような立場に立っている自分自身を見た時に、体のほうが心を支配していることを発見するのです。

肉身が良心を支配している理由は、堕落した時、サタンと関係を結んだ偽りの愛が、良心の力よりも強かったからです。神は、このことをよく知っていたので、堕落した人間を見捨てず、これを救うために、良心を支配している肉身の力を弱める作戦をとってきたのです。

このように、天が働くことのできる救いの体制として、良心に対して立ててきたのが、歴史上における宗教なのです。そのため、過去にも現在にも宗教が必要なのです。

全世界の文化圏が異なる背景に従って、それぞれの宗教が立てられてきました。しかし、体が心を支配していることを、どのようにして弱化させるか、除去させるかということが、宗教の目的であることを今までの信仰者たちは知らずにいるのです。

もし堕落がなかったならば、宗教は必要なかったのです。人類始祖が堕落によって誤ったので、これを修正するために必要になったのが宗教です。

では、神は宗教を通して何をなさろうとするのでしょうか。心を支配している体の力を屈服させようとしているのです。

多くの人々は、宗教を信じて救われるものと考えています。例えば、キリスト教を信じれば天国に行き、仏教を信じれば極楽に行くと思ってきました。しかし天国は、神を中心とした真の愛と一体となった子女たちたちが、神の家族として神の愛を中心とした真の家族となって入る所であることを、今まで誰も知りませんでした。

では、宗教がなすべき内容は何でしょうか。体が嫌がることを行うのです。「断食しなさい、奉仕しなさい、犠牲になりなさい、そして祭物になりなさい」と言うのです。祭物は、血を流し、生命を捧げなければならないようになっているのです。

それで、聖書では「生きんする者は死に、死なんとする者は生きん」という逆説的な教えをしてきたのです。これは、肉身の思いのままに生きれば地獄に行くしかないし、肉身を主管して良心の解放圏の道に生きれば、天国に行くという意味だったのです。

体を完全に屈服させ、良心が絶対的な立場に立てば、私たちの良心は無限なる欲望と希望をもつようになります。

今日まで、歴史を通して数多くの宗教や宗教指導者たちが現れましたが、完全に体を克服して無の境地に立って、良心を主体とした本然の基準で、天と相対できる立場に立った人はいませんでした。

良心は私のすべてを知っている

私たち堕落人間は、偽りの愛の根を中心としたために、偽りのオリーブの木となり、真のオリーブの木になれませんでした。神の真の愛を中心として根を下ろすべき人間が、悪魔の愛を中心としての根を下ろしたために、偽りのオリーブの木になってしまったのです。

この事実を、いかにして清算すべきでしょうか。これが、現代に生きている私たち人間が解決しなければならない最も重大、かつ宿命的な課題として残っているのです。

自分自身をよく吟味してみると、私たちの良心は、自分のすべてのことを知っています。良心は、私にとって父母よりももっと近い存在なのです。そして良心は、真の愛によって永遠に、神の懐に抱かれることを願っているのです。

子供が結婚すれば、親と別れて暮らすようになることもありますが、良心は生まれる前から私と共にあり、私と別れることはありません。私を愛しながら、永遠に真実で傷のない神の子女として、私を解放しようとするのが、良心の使命です。

良心の世界には、先生は必要ありません。本然の道を行く限り、自分の行くべき一生の道をはっきり知っており、間違いなく神の懐に帰れるように、教え導いてくれるのです。

良心が私の一生のすべてを知っているように、霊界に行けば、霊界のコンピューターがあって、地上で行ってきたすべてのことが記録されています。

「私は霊界には行かない」と、自信をもって言える人がいるでしょうか。いずれ、私たちはみな霊界に行くようになっています。皆様も霊界に行けば、自分の一生ばかりではなく、数千代の先祖たちのことも、一瞬のうちに分かるようになっています。

霊界は時間と空間を超えた世界なので、地上にいる時に、良心に反する足跡を残してはならないのです。良心はどんなに著名な教授よりも優れている、ということを知らなければなりません。皆様の良心は、船の羅針盤と同じ役割をしているのです。

皆様の中で、自分の結婚相手を選ぶ時に、自分よりも劣った人を願う人がいるでしょうか。決していないのです。誰しも自分の愛する相手は、自分よりも何十倍、何百倍、可能ならば何千倍、何万倍、何億万倍でも優れていることを願っているのです。

このように良心の欲望は、最高の愛を求め、絶対的価値の中心を占領しようとするのです。このことは、私たちの先祖、また後孫も同じです。もし、このような質問を神御自身にしたならば、きっと同じような回答を下さるに違いありません。

良心は神をも占領する

皆様は、良心の欲望はすべてかなえられると思いますか。日本人の一人として、国会議員になれば、次に首相になり、できればアジアの第一人者、さらには世界一の高い地位を占めたいというのが、良心の欲望なのです。

歴史始まって以来、多くの人々は、人間の良心の欲望は達成できないものと結論を下してきました。しかし、レバレンド・ムーンは、それが「達成可能である」という結論を下したのです。

皆様、良心の器がどれほど大きいものか、お分かりですか。良心は神まで占領したとしても、宇宙にもっと価値あるものがあれば、それも占領しようとするのです。

神の良心の器と人間の良心の器とは、どちらが大きいでしょうか。神の良心の器のほうが大きいとすれば、それで何をしようとするのでしょうか。神が一番占領したいのは、人間の真の愛に対する人間の欲望であるというのが結論です。

神は絶対的な方ですが、一人でいて寂しくないでしょうか、幸福でしょうか。いくら大統領であっても、愛する妻がいなければ、寂しいのです。

神も相対を必要としないでしょうか、どうでしょうか。いくら神でも、一人では寂しいのです。人間はお金や知識や権力がないと寂しいのですが、神は創造主ですから、お金や知識、権力は必要ありません。神に一番必要とするのは何でしょうか、それが問題です。

私たちは、神を何と呼んでいるでしょうか。神は愛の王様で、愛の主人です。もし神が愛の王であり、新郎であるとすれば、神の愛の相対となる女王が必要だということは絶対的な真理です。では、絶対的な神の前に、相対となり得る存在は誰でしょうか。それが、真の人間なのです。

私たちには、お金も知識も権力も必要ですが、もし愛する妻がいなければ、それらはみな、むなしいものとなってしまいます。夫には妻と子が必要であり、妻には夫と子供が必要です。そのような愛の相対と共に暮らすところが家庭なのです。

良心の欲望を、思う存分に満たしてくれる愛の主人である神に侍り、そのもとで、神の愛の対象である夫婦が一つになって、その愛の中で、愛する息子、娘と共に幸福に暮らす家庭こそ、神の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発の基地となるのです。

私たち人間も、愛する対象が自分よりも何千万倍、無限大の価値ある存在であることを願うように、神もまた、愛する相対が無限の価値ある存在であることを願っているのです。この対象になるのが、真の人間です。そのような男性と女性が、堕落しないで完成したアダムとエバであったということを、今まで誰も分からなかったのです。

私たちに良心の高い欲望が与えられたのは、なぜでしょうか。神が主体で人間は対象の立場であるから、そのままで神の分身となるのではありません。人間は神とは別個の人格なのです。そして神の対象として、神の何千万倍の期待にそえるような価値ある存在となれるように、人間に与えてくださったのが、良心の愛に対する欲望なのです。

神が、創造当初に理想として願った真の愛を中心として、神人一体の家庭を築いたならば、今日の私たちは、天国に行くのか、地獄に行くのか、何ら心配する必要もなく、そのまま天国にみな入れるようになっていたのです。

解放された良心は真の愛に結ばれる

ここで問題となるのは、神の真の愛と人間の真の愛が、それぞれ主体的愛と相対的愛として、一つになった一点から出発できず、異なった愛の出発となり、二つの愛の方向と目的をもつようになったことです。

そのため、神と人間が願う絶対的理想世界は見いだすことができないのです。神と人間の二つの愛が、一点から出発することを願っていた神のみ旨は、堕落によって完全に頓挫してしまいました。

今日、私たちはサタンの愛を中心として、偽りの父母となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ後孫となったので、天国とは関係がない地獄に行くしかないのです。

皆様が心の問題を解放し、良心世界に三百六十度の解放圏を連結すれば、良心は自然に、真の愛と連結されるようになるのです。

ところで、愛の器と良心とは、どちらが大きいかと言えば、愛のほうが大きいのです。なぜならば、良心は愛から始まったからです。

良心を解放し、神の真の愛と一つとなって暮らし、神の愛の血族のために準備し、愛を中心として暮らしたのちに入る所が天国です。このような愛を占領できなければ、永遠に天国に入ることはできないし、その時が来るまで、私たちは数千万年も待たなければならないのです。

真の良心と真の愛が一つになって暮らす人は、自動的に天国に入ることができます。たとえイエス様を信じたとしても、神の愛と連結しない限り、天国には入れません。肉身と良心が戦う人は、天国には入れません。サタンの血統を受けて紛争する人も、天国には入れません。その道を開拓すべき宗教同士が争うならば、終わりの日には、みな滅びてしまうのです。争うところに神はいません。すべての宗派と宗教は一つにならなければなりません。

宗教は、体を打って良心を解放するものであり、直接、救援の門を開くのではありません。救援の門を開くには、神の真の愛を中心として、真の愛と真の生命と真の血統を受け継ぐことが必要です。

宗教を信じていても、救いを得るのではありません。宗教によって肉身を打ち、良心の解放圏を得ることができれば、愛に対する良心の欲望は、神以上に高くなる資格をもっているのです。

人間は神の無限の愛の対象

皆様、いかがですか。自分が行っていることは、良心が先に知っていますか、それとも神が先に知っていますか。良心が先に知っているのです。もし、良心より神が先に知っていれば、人間は神の分身であり、同じ体と言えます。人間は一人では相対的な理想を完成することができません。それで、アダムとエバが堕落したあと、神が「アダムよ! どこにいるのか」と、先に主体であるアダムに尋ねたのです。

人間は、神の真の愛を動機として出発したので、相対的人格者として神に帰るのです。父母が百歳になり、子供が年を取って八十歳になれば、父と子は、父子の関係はもちろん、友達の関係になれるのです。女性と男性は、力では相手になりませんが、愛が介在すれば、妻と夫が互いに押したり引いたりして一つになれます。

人間が、神の前に相対的な愛の存在になれば、神は喜ばれたでしょうか、喜ばれなかったでしょうか。絶対に喜ばれたのです。神は、理想的対象である人間を未来の希望として見つめながら、愛の対象が完成される前に、この宇宙を創造されたのです。

愛の対象として完成したアダムとエバが、それ以上の大きなものを、さらに創造してほしいと願えば、神には創造する能力があるでしょうか、ないでしょうか。私たちの良心の欲望が無限であっても、それにこたえて創造することができる神であることを知らなければなりません。

このように無限なる神の真の愛を中心として、その対象として人間を創造したという事実を完全に失われたために、これを再び回復しなければならないのが、私たち人間の生涯であり、人類歴史の目標なのです。

神が宗教を立てた目的は何でしょうか。神の骨肉のごとくに一体となって愛し合うような息子、娘を中心とした愛の家庭、氏族、民族、国家を形成するのが、神のみ旨であったということを、はっきり知らなければなりません。

救いの摂理は復帰摂理

それでは、メシヤはどのような方でしょうか。永遠なる神の真の愛を根として、初めて地上に降臨し、すべての宗教が願ってきた理想を完成させる方が、再臨のメシヤなのです。

再臨のメシヤが真の父母となり、失われた真の愛を回復し、真の生命と真の血統を中心として、地上に理想家庭を立てることが、神の救いの摂理の目的です。

堕落によって、神はアダムの家庭の中で、真の母と息子、娘を失ってしまいました。神に属する一人の息子、娘もいなくなったのです。神の真の愛を中心として、血統的因縁をもつ神の家庭がなかったのです。

堕落した父母を通して、偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結んだことによって、私たちの心と体との間に戦いが起こりました。アダムとエバとは、互いに怨讐関係となり、その息子、娘たちの間に醜い殺戮戦が起こりました。

そのため、神が人類を救うために立てた救援摂理が復帰摂理なのです。まず、心身一体となった息子、娘が絶対的な夫婦となり、さらに神の真の愛を中心として、親子が完全に一つになって、神と共に永遠に生きる真の家庭をつくります。そして、新婦の立場に立っているキリスト教を連結させて、神との血縁関係を結び、真の愛で統一された家庭、氏族、民族、国家、世界を再編成することが、神の救援摂理の完成なのです。

日本の国家指導者の皆様は、日本が神の祝福を受けることを願っていらっしゃることでしょう。そのためには、真の愛を中心として、心身が一つとなった国民にならなければなりません。真の愛を中心として、夫婦が絶対的に一つにならなければなりません。神の真の愛を中心として、子女が絶対的に一つになった家庭がこの国に多くなる時、神は、自然とこの国は世界の中心的国家になるのです。

千六百名以上が海外ボランティア活動

私は夫レバレンド・ムーンと共に、中南米十七カ国の大統領をはじめとする貴賓の方々とお会いしてきました。また、つい最近は、世界百六十三カ国からなる三十六万双の国際合同祝福結婚式を成功裡に終えてきました。

第二次世界大戦後、レバレンド・ムーンは五十年間、全世界的に迫害を受けてきました。それは、私の夫に何かの罪があったからではなく、この世を救うために、他の人の身代わりとして、多くの迫害を受けたのです。しかし今日では、夫のことを「誰よりも立派な人である」と、多くの方々が尊敬するようになりました。

皆様、レバレンド・ムーンによって、共産主義は滅びました。ゴルバチョフ前大統領と金日成主席に影響を与え、転換させたのはレバレンド・ムーンです。今日、「家庭崩壊と二世の倫理的退廃で滅びていくアメリカを救う人は、レバレンド・ムーンをおいてほかにない」と言われています。

韓半島の困難な政治的背景の解決のためにも、レバレンド・ムーンは深く関係しているのです。中近東においてもそうです。レバレンド・ムーンは、一度言ったことは必ず達成してきました。私が夫と共に、三年前に「世界平和女性連合」を設立したのは、世界中の女性たちが妻として家庭を守り、母として子女たちを正しく育てていけば、今こそ神と人類の理想とした永遠なる平和世界を実現できると確信したからです。

今や、私たちの「世界平和女性連合」は、世界一六三カ国に支部をもつ大きな組織となりました。特に、私が何よりも誇りに思うことは、千六百三十名を超える知性と教養にあふれた若い日本の女性たちが、ボランティアとして世界中で活躍していることです。それは、世界史上でも例のない運動だからです。

自由と平和は真の家庭と私から

このような事実を見た時から、日本がレバレンド・ムーンを、アメリカよりも先に受け入れるようになるならば、世界一の指導国家になることでしょう。

皆様も御存じのとおり、レバレンド・ムーンの夫婦は「真の父母」の名で、全世界に知られております。真の父母によって、神人愛の一体となった真の愛の種、真の生命の種、真の血統の種を接ぎ木され、大きな祝福が伝授されるのです。

これを通して、超国家的な血縁関係を結成して、神を中心とした天宙的大家族主義を形成することにより、父母主義、夫婦主義、兄弟主義を宣布して、心情文化世界を迎えることによって、地上から天上まで、天国に入れる解放された地上天国世界を完成するのです。

全世界の人類が、特に日本の皆様が大きな祝福を受けて、天国の家庭として転換し、地上天国に入籍するようになることを、切にお願いします。

きょう、このように意義深い日、皆様にお会いして、互いに信じ合う立場で、最も重要な内容を紹介いたしました。どうか新しい決意のもと、この道に歩調を合わせてくださるようお願いします。

この地上に平和をもたらすのは、「真の家庭と私」であり、そこから解放と自由と統一と平和の天国が始まることを覚えてくださるよう、切にお願いしながら、私の話を終えたいと思います。

皆様の国と、皆様の家庭に、神の祝福がありますよう、お祈りいたします。御静聴ありがとうございました。