家庭教会運動とは、アダム家庭復帰運動のことです
家庭協会はそもそもエデンの園において成立すべきでした。すなわち、エデンの園において神を中心としてアダムとエバが一体化し、子女を繁殖して、そのアダム家庭において神をあがめるようにしていたならば、そこにおいて、神の愛による家庭教会が成立しいたはずなのです。
人間が堕落している。すなわち本来の神の理想的な姿となっていない。
このように見ている人はそう多くないと思います。
「人間なんだから」「人間とはこういう生き物だ」と、現実の事実だけを見て、「今の姿は昔も今もかわらない」と言っている人が実に多いわけです。
そもそも神の存在すらわからなくなっています。神との心のつながりが切れてしまっています。
これこそが「人間が神との心の関係が切れた状態=すなわち堕落している」ということです。
苦しい時、つらい時、自分ではどうしようもできないとき、死ぬとき、そういう場面に遭遇して初めて「神さま、助けてください」と「神」と口にしたり、心の中で強く念じたりするのは、本来、人が神から生まれ、繋がっていてことを証しするものなのです。
神が人間の創造主だというのなら、神は「生みの親」なる立場であるはずです。
それなのに、親と感じることができない私たちの心。これこそが人間が神から離れている存在であるということの証明になるでしょう。
心が堕落している
何が堕落しているのかというのなら、人間の「心」が堕落しているということ。
すなわち、親なる神の心情を感じることができない状態になってしまっているということなのです。
堕落した人間からすれば、自分が堕落しているという事実さえはっきりと認識していない状態です。
一方、創造主たる神は、我が子たちとのつながりをなんとか修復、回復させたいと切に願っているはずです。
神は人間を必要としているのですから。
本来の創造の理想、希望を成就できないまま、日に日に生み増えていく人類を見ながら、苦しいのは人間だけでなく、親なる神も、「心情が通じない」という苦痛を味わっておられるのです。
子供をもつことによってわかる親の心情
神は親のような立場にある、そう認識してみると、その神の心情を理解するには、個人が家庭を築き、子供を持つ必要があります。
自分も親の立場になってみたときに、「親」がどんな心情を持つのかを「実感」するようになるからです。
どんなに神の心情について説明を受けたとしても、想像することはできても、その心情を実感することはできないでしょう。神と同じ立場になった時にその心情を味わい、はじめて理解することができるのです。
特に子供が生まれ、その子の成長を見ながら感じる親の心は、まさに創造主である神が、その子供たちである人間を見つめる心情と重なるようになります。
子供の成長に一喜一憂し、子供と私は切っても切れない関係となること。特に母親にとっては、自分のお腹から出てきたもう一人の存在であります。まさに第二の自分であり、父親の我が子にたいする心情以上に、もっと心の距離が近い存在になります。
神も理想的家庭を願う
さて、その子供が自分の手を離れ、しかも生んだ親と気持ちが通じなくなってしまったら、その親はどんな心情を味わうでしょうか。
神と私たちが実際の現実において心のつながりを持てていないのであれば、親の立場にある神の方が、心苦しい日々を過ごさなければならない立場であることがわかります。
本来の理想とする家庭は、神もまだなし得ていないわけです。
神が生きて存在しておられるのであれば、必ずや神の家庭をこの地上に築き上げることを望んでおられることでしょう。
ホームチャーチ運動とは、失った神との心情関係を回復させ、神の愛を中心とした喜びに満ちた幸福な家庭をこの地上で築いていく運動なのです。