神は何ゆえに沈黙されるのか

人は幸福になりたいと、日々生きている

幸福になること
これこそ人生の目的になるといえます。

無意識の中に
人は喜びや楽しさ、遣り甲斐、生きがいを求めていますが
それはすべて「幸せ」「喜び」という気持ちを得たいがためののものなのです。

ということは
人を創造された神ご自身も、同じように、創造の目的、理想があったはず。

その実現から幸福を得たい。喜びを得たい、それが永続的に続くものとして・・・・そのように考えておられたに違いないのです。

どころが、ここで大きな疑問の壁にぶつかります。

疑問の壁

もし
神も人と同じように喜びを得たい、という動機から森羅万象、実体的世界の創造を開始されたのであれば

人が悲しみや苦しんでいる姿をみてどのように感じるのでしょうか

人類の歴史を振り返ると
個々に幸福で充実した人生を生きて死んでいった人がいるかもしれませんが
往々にして、人類歴史は闘争、殺戮といった、人が享受したい喜びの世界とはかけ離れた行為を繰り返し行ってきたことは事実です。

ところで
「神が愛である」というのなら
どうして人を救わないのかという単純な疑問を抱いてしまうでしょう。

助けたいのはやまやまだけど、何かの事情があってそうできないのか

そもそも、神は愛ではない
愛などといったものは人間が編み出した進化の過程の中の精神の産物であるとするのでしょうか

この疑問に対して明確な回答が必要になります。