1981年11月13日 韓国
目次
神の救援摂理
一般の宗教人、一般宗教では、統一教会のように蕩減復帰とか、み旨の目的を果たすための再創造理想を辿っていくとかいうのはわからないんだね。結局、なんのために堕落したかというと、人間の責任分担を果たしえなかったことによってだね。アダムが完成する段階まで行かなかったんだから、結局、責任分担未完成の基準みたいなことになる。そのためにいつでも、堕落園内にある我々信仰生活をしていくもの、あるいは永遠の天に向けていくものにとっては、この基準はいつでも残っているんだね。人間の責任分担という基準を中心として考えてみた場合、いまだにそういう基準が残っているから、ただ、その責任分担を果たすということができない。蕩減復帰をしなければならない。アダムが未完成になったその部分を補って、それ以上の基準まで責任分担を果たしていかなければならない。こういうような問題がいつでも残っている。だから霊界と地界においてはその責任分担による蕩減復帰の条件がずらりと残っているんだね。だから霊界と地上の人間世界にはその段階がずうっとどういう段階になっているかというと――本当は完成した人間になったとすれば、神の愛によって直接主管されるその人間が、堕落のために、人間の位置を失って、落ちてしまったね。それが僕の僕の立場だ。無原理圏にね、原理のない世界に落ちてしまった。それで落ちたその人間の世の中に住んでいるものは無価値なものである。原理圏になんの関係をも持つことができない。そういう人間になったんだから、それを神様が再び再創造の原理過程を通過して、それを戻していこうというのが救援摂理だ。それが統一教会の用語でいえば復帰摂理である。
だから結局、本当に摂理されるには、神の子供の立場に立たなければならない。本当は原理主管圏というその基準は、神の子供として行くべきところである。それは僕が行くところではないんだね。子供が通過すべき過程であった、もともとはね。それをはっきり和らなければならない。神の子女として通過すべきその過程が原理結果主管圏である。これが直接主管圏まで到達して、神の愛によって一つになることによって、理想が実現される。だからその完成圏までには、結果主管圏にあるその過程というものは神の子女として行くべきところであって、僕が行く道ではないんだね。それが問題だよ。しかし、人間は堕落したんだけれどね、もともと神の子女の立場に立っているというんだね。堕落しない立場からみた場合、もともとが神の子女としてつくられた。堕落はしたんだけれど神の子女のその部分は残っておるんだね。だから神がそれを捨てることができない。だから半分はサタンに引っぱられていったような、そういう立場に立っているんだね。堕落した人間をみれば、サタンの僕の子供だね。血統的立場からみた場合には僕の子供であり、本性的立場からみた場合には神の子供の立場である。だから神は本性基準を中心として、原理過程を通過する道以外には道がないんだね。なんの話かわかった?
逆説的な宗教の道
だから神は内的基準を中心として摂理をしてきた。サタンはその反面、外的基準において摂理の反対圏に立っている。そのために我々人間がもし堕落しなかった場合、人間自体において、良心と体が、内心とカイン的な体が闘うようになっていないというんだね。堕落の結果、そういうようになった。だから内心の方もプラス、外心の方もプラスとなると反発するようになる。ともに主体性を主張するような立場になっているから、これがいつでも闘うんだね。主体性をもとうとして。プラス、プラスみたいに。だから一方のほう、サタンは良心の方を無視して、マイナスの方に立たせようとする方法、神はその反対に内心の方をプラスの方に立てて、その体を無視して完全マイナスの方に立たせる、その闘いを今まで歴史観を通してやってきたんだね。
だから我々の良心は、その境地に今もっながっているんだね。それを、その立場をみた場合には、内心は霊界に通ずる、天国に通じる立場に立っているし、外心は地獄に通じる立場である。だから両方の、その境界線に立っているのが人間だね。それで原理結果主管圏に上がっていくには、結局、宗教の道を通していく以外に道がないんだね。だから宗教の道は、普通の、この世的からみた場合に正常な道ではないんだね。僕の道である。逆の道である。逆の道を行かなければならない。この世で左に行けば、宗教では右に行く。この世では前に進めと言えば、反対に行くんだね。まるっきり反対、逆説的な道だよ。理論的ではないんだね。事理にかなった、そういう立場を行くのではなくして、矛盾したる立場を辿って行かなければならないのが、今までの宗教の道だった。これを今までの宗教人はわからないんだね。宗教はそう行くものだと考えるのであって、なぜそうなったかということはわからない。この境目の見解が反対になっているから、神に辿るには、結局、この世的なすべてを否認しなければならない。否定しなければならない。だから完全なる宗教の道は、この世の完全否定からはじまる。そういう結論が出てくるんだよ。だから聖書を読んでもね、みんな反対のことを言っている。生きようとするものは死ぬ。死のうとするものは生きるとかね。高くなろうとするものは低くなり、低くなろうとするものは……とみんな反対だね。なぜそういうふうに言ったかというと、根本的にはそういうふうになっているから、その基準を通していかなければ元の道に行くことができないから、そういう逆説的な内容を言わざるを得ない。わかりました?
それで、この内心の良心基準を上げていくには、結局は外的なものを打たなければならない。殺すわけにいかない。本当に零にしてしまいたいのが神のみ旨なんだけれどね。零にして完全に内心に従っていけば、それは理想的なんだけれどね。これを殺してしまうわけにはいかない。だから宗教の道は、一番世の最後に、後ろに立っているんだ。それから皆から迫害される。皆から反対される。だから宗教の道を行けばね、皆が反対するよ。なぜかというとサタン圏にあるものたちは、自分の世界に反対なる道を行くとともに、将来自分の世界を破壊する道が開かれるんだから、それは自動的にサタン圏の人々が反対するようになるんだね。どのくらい反対するかというと、殺したいほどにね。そういう反対をするんだね。
本当の宗教を信じるものは、一番近いものが一番近いものと怨讐になるんだね。自分にとっては一番近いものは誰だ。なんだ。内心だろう。良心と肉心が一番近い。だから良心の怨讐が肉心であり、肉心の怨讐が良心である。だからもしも自分が治まった場合には、自分が天の方に立ち寄った場合には、自分に一番近いものが怨讐圏になるんだね。だから聖書にいったのは自分の家族が怨讐である。一番近いものが怨讐である。そういうことを言った。この道は不可避な道である。誰でも行かなければならない、そういう道になっているんだね。僕の僕から
だから肉心の願う道は、身体を中心として自分の気ままに、自分を中心としてすべてをやって、自分に対して皆が崇拝するような、自分を中心としてすべてをなすということだ。これが肉心の欲望だね。それはサタンの欲望である。そういう立場だったら神につなぐことは絶対できないんだね。これを完全に無にしなければ神につなぐ道はない。犠牲とか、服従とか、奉仕とかを願うものはないんだね。服従を願うものはない。犠牲を願うものはない。本当はないんだ。そういうふうにするのは、外的肉心につながっているサタン圏の要素を減滅させるための一つの作戦、方法である。
そういうふうにして、どうするかというと、上がって行かなければならない。では、最初の段階はどういうようにして上がっていくのかというと、この世の人たちは皆サタン圏におさまっている。サタン圏をみれば、サタンが主人になって、世の中の人はサタンの僕になっている。そういうような世界によって神が出発するには、サタン世界の主人の立場に立つことができない。一番の最後の立場、サタン世界の僕の僕の立場から治めなければならない。僕の僕の立場に立つというのは、サタン世界において主人がない。その主人たるものはサタン世界の僕である。だからその道からその信仰の再出発の基準を得なければならないんだね。だから僕の僕の道というのは、神様を中心としてではないよ。サタン世界の僕の僕の道におちいっていかなければならない。そうしたら、自分が信仰の道に行くためにサタン世界の僕の僕の道に立ったとするならば、その立った位置は、一人、その基準を代表したそういう一対一の立場ではないんだね。一対世界的である。だからこの僕というものは自分も知らないうちに(その僕の僕を)僧くて僧くてたまりきれないんだね。仕事をやらせても、「続けてやれ、死ぬまでやれ」という。
だからこの世の中の僕の中で一番悲惨な道を乗り越えなければ、僕の立場に行く道がない。それが歴史的である。歴史的というのは過去、現在、未来。だから毎日を、十字架をつけながら殺さないで、それを続けても行くような、そういう道を行かなければならない。一日の十字架ではないよ。生涯かけての十字架を僕の僕としていじめられながら、そうやっても神の国に入るには、それを続けて耐えていかなければならないのが、神に帰る道である。そういうふうにしてサタンの僕が、「あまりにも自分がやったことがひどい。彼に対してやらなかったことがない、すべてのことをやった。人間として考えてみた場合には、想像もつかないほどのことをやった」ということを、自分なりに感動するような、反省するような動機をもたなければならない。そういうように話しかけてみた場合には、結局、だんだん感動するんだね。「自分は悪かった」という、悪かったという度がどんどん高くなることによって、天の方がその僕を感動させるというんだね。そういうようにして、自動的に服従しながら逆に「君が、わたしが君にやったより以上のことをやってほしい」。そういうふうにならなければ天に通じる道がない。そうなることによって結局、自分の内心が迫害を受けてサタンが屈服して、(サタンが)「自分が迫害したより以上のことをやってくれ」という立場に立つというと、内心の勝利圏が外心、身体の勝利圏まで拡大する。そういうような基盤を開拓していかなければならない。
そういうふうにして、僕として立ち、僕の相続圏を受けたとしても、それでもうおしまいではないよ。そうするとサタン世界の主人のものがまた、サタン主人として世界的に迫害するんだね。ありとあらゆる迫害をする。口で言われないほどに迫害する。その迫害を受けて受けて、ある期間を通過することによってその主人が、迫害されるその者に感動されて自分自身を悟りうるようにしないといけない。「自分がまちがっている」、こういうようにして自然屈服されることによって、結局、サタンの主人を屈服させることができる。わかりましたか? その立場を越えてはじめて、僕の上の養子圏に立つことになる。養子圏に立ったとしても、結局、サタン世界の養子を中心として迫害するより以上の迫害を受けるんだね。こういうふうな段階を毎度繰り返しながら上がっていく。
復帰の八段階
養子の上は何かというと庶子である。養子というのはまるっきり親が違うんだね。庶子になった場合には片親が同じだね。近くなるんだね。だから養子がその家のすべての相続を受けるには、その親に絶対的信頼を受けなければならない。親からみた場合には、世の中の子供たちと比べてみて、それに劣るような養子は願わない。多くの子供と比べて自分の養子になる者が、その子供より勝るように誇りたい、そういう立場に立つのを願うんだね。だからその養父母は、世に言われないほどのいろいろなことをやらせる。それでも服従しなくてはならない。そこに不平を言ったらいけない。完全に一つになるようにして、その養子によって養父母が自動的に感動されて、「わたしのすべてを、すべての財産を君に譲っていく」。こういうような立場に立つことによって、初めて養子圏の勝利権を得ることができるんだね。
それを終えた場合には、それから庶子の立場、庶子の立場に上がった場合には実子の立場、その実子の立場に上がるには、そのまま上がってはいかれない。実子になるには原理によって実体基台というのと同じように、カイン、アペル――カイン、アベル問題がいつもひっかかる。その親の前に必ずカインがある。カインは兄さんである。不良少年、不良兄さんだね。その兄さんを救ってこなければ実子になりません。庶子もそうなっているし養子も皆そうなっている。そういうふうにして実子になって帰るには、その二人が一つになる。兄弟が一つにならなければならない。その兄弟が一つになってはじめて何に会うかというと、母にもどるんだね。その母は二人のカイン、アベルという子供を完全に一つにして、乳を飲ませても、兄さんに右を飲ませ、弟に左を飲ませ、それを何回も変えたとしても、その二人が闘ったらいけない。完全に一つになったという外的に一つになった兄弟基準、そして母と三位基台一体となった後に初めて自分のアダムの方に帰るようになっているんだね。そのアダムは一人では神に絶対帰れません。エバを抱え、カイン、アベル四位基台をつくって初めて天に帰ることができる。それが復帰路程である。この道は、アダム一人が堕落したとしても、万民がその路程は皆受け継いでいる。誰でも、その道を行かなければならない。それで今までの宗教、キリスト教からみれば、独身生活を言った。結婚を許さなかった。それはカイン、アベル圏に属している。キリスト教をアベルとすれば、この世はカインとして、カイン、アベルが一つにならなければ、母のところにもどっていくことができない。そういうふうになっている。だから復帰路程は、僕の僕から、僕から、養子から、庶子から、実子から、母から、アダムから神まで八段階。それから個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、天宙復帰、神様、八段階。みんな八段階の段階をもっている。霊界へ行くにはこの遣を勝利していかなくてはならない。霊界と地界には、こういうような八段階のはしごが残っている。その一つを上がるには、数千年、数億数万年もかかるんだね。そういうふうに上がっていく方法を知らなかった。上がっていくには、そのまま直接こちらからはしごを持って上がれば一番理想的だけれど、そう上がることは絶対できません。必ず上がっていくには、自分の家から出て他の所へ行って、怨讐の僕の僕の基準、それは自分の家でそうやるのではありません。自分の家の父母を中心としての僕の僕ではありませんよ。一番サタン的な所へ行って、そこの僕の僕の立場に立つ。結局、自分を中心として自分自身がアベル的僕の立場に立って、カイン的僕を求めていくんだね。わかりました?
自然屈伏
アベル的僕の僕の立場に立って、何を求めて行く? カイン的、サタン的僕の僕の立場を辿っていって、そのカイン的な僕の僕を感動させて、自然屈服させて、その僕の僕がアベルの僕の僕に対して絶対服従する立場に立たなければ、帰ってこられない。絶対帰ってこられない。なぜそうかというと、この原理結果主管圏というその基準は、誰が上がる道かというと、アダムとエバが上がる道である。だから長男、長女が初めて上がる道である。長男、長女だよ。しかし堕落した世界において、長男が結局はサタンの方に立っているんだね、そうだろう。カインが長男だろう。それはアベルを中心として復帰の摂理をするんだから、カイン自体が長男の立場である。だからアベル自体がいくら原理結果主管圏を上がるといっても、上がる道はないんだね。上がれない。問題は、長男の立場の基準を受け継いだ後に上がる通が生まれるのであって、その前には絶対上がれない。それは原理である。だから長男のその権限を与えられるには、それを堕落したカイン圏がもっているんだから、僕の僕の立場にあるカイン圏に辿っていって自動(自然)屈服させて、兄さんの立場の者(カイン)が、「どうぞ、君がわたしの前に立って、兄さんの立場に立って、我を率いて天に帰ってくれ」と言うような僕の僕の立場のアベルを、兄さん(カイン)の前に立たせて押してやらないというと、(アベルが)兄さんの立場に立つことができない。それを押してくれれば、兄さんの立場に立ったような基準になって、帰って来ることができる。そして僕の僕の基準から僕に一段階上がるというんだね。わかりました? なんの話か。
なぜここで直接上がれないかというと、もともと原理は長男長女が上がるようになっている。長男が上がるようになっているのに、摂理に則しているそのアベルは長男ではなく次男だよ。アベルだから。これが問題だ。この問題のために、歴史は、神の摂理は延長されてきた。これは宗教世界において一つの地獄のどん底みたいなものだね。その淵を乗り越えることができなかった。我々はそれを知っている。わかっているから克服して帰ってくることができる。こういうふうにして僕の僕の立場から兄さんの立場に立って帰ってきた。その基準において、僕の僕から僕の基準に上がることができる。長男の権限を持つことができる。わかりました? それから僕の基準に上がってきたとしても、主人の基準はまだない。自分は主人ではない。だから主人の基準を得るには、また出て、サタン世界の主人に対して自分は僕の立場に立って、自然屈服をなすような、そういう苦労の代価を払って、その主人自体が「自分が僕になってもいいから、あんたがこのすべてを受け持って帰ってくれ」というように、(自分を)兄さんの立場、先頭の立場に立たしてくれるようにならなければ、主人の基準に帰っていくことはできない。そうして、僕の立場から主人の基準に上がる。それが復帰路程だよ。
それが僕の主人の基準では、まだいけないんだよ。養子の基準に行くには、またサタン世界養子圏に出ていって、そういう闘いをするんだね。そうして自然屈服させることによって、弟の立場から兄さんの立場を得て、それから始めて帰ってきて僕の養子の権限をもって上がることができる。それを上がったといっても、庶子の立場には上がれないんだね。また、こういうように横に行って、弟の立場から兄さんの立場を自然屈服させる。そういう基準を立たせて、それから実子の基準に上がることができる。実子の基準に上がったとしても、それはそのまま上がっていかれません。カインがおるからカイン世界に行って、闘って勝利して、二つともに連れてこなければ、実子圏を乗り越えることはできません。これを乗り越えて初めて、アダムが堕落しない前の基準に立つことができる。
夫婦で神の直接主管圏に
そうなった場合には、アダム一人ではいけないんだね。エバが必要である。エバを得るには、自分自体がエバを創造しなければならない。この世の中にイエス様がこられた。メシヤはアダムの代わりだよ。もともとエバは、アダムの肋骨を抜いてつくられた。それはアダムにかたどってつくったという意味だね。アダムによってエバはつくられたんだから、アダムはエバをつくる。エバを復帰しなければならない。エバを復帰するにはどうするかというと、結局、自分の直系、自分の一家内の家庭ではなくて、サタン圏のカイン的な家庭のある女性を復帰してこなくてはいけない。探してきた者がすべて完成されて理解する者ではありません。反対するものである。反対されるようになっている。あらゆる方面に合わないんだよ。旦那さんの言う、アダムの言葉がみな信じられないし、その旦那さんがいやである。この世的からみれば、仲の悪い夫婦間以上の基準に立たなければならない。それで反対するんだね。反対する内容を耐えて、反対したその者が悔い改めて自然屈服する、そういう基準に立たなければ帰ってこられない。同じことだね。そういうふうにして復帰していくんだよ。それが反対した場合には、まるっきり反対される。なぜ反対するかというと、サタンの方に立つからだね。だからまるっきり反対する。その立場を耐えていかなければならない。こういうふうにしてエバを中心として、エバが絶対的にアダムに自然屈服するようにならなければ、アダムとしてエバを迎えることはできない。
堕落は何かというと、エバがアダムを引っばっていったことでしょう。その反対に、完全にエバがアダムからどんなことを言われても聞くようにならなければならない。アダムがエバに対して、他のところにお嫁に行かせても、どんな乞食みたいな者に行かせても服従するような、どこへ行かせても服従するような立場に立たなければ復帰はできない。それから(アダムが)他の人を愛したとしても、それを歓迎するような立場に立つような女でなければならない。なぜかというと、過去、自分自体が堕落をして他の男を愛した歴史をもっているから、それを蕩減するには、そういう立場に立たせても女は不平を言うことができない。だから今までの女の世界には、妾とかいう立場でも不平を言うことはできなかった。そういう歴史の基準が残っている。
こういうふうにして結局、初めて堕落しない前のエバの立場に立って、二人が一つになる。しかしそれは、絶対、自分自身を先に立てるのではありません。堕落はエバとかアダムとかが、自分を考えることによって起こったんだから、その反対に、絶対、自分の思いのままではいけない。自分の旦那様よりも神様に対して、より高く侍らなければならないし、男は自分の奥さんより神様を第一にしなければならない。そういうように絶対的な立場に立って神の愛を受けることによって、神の愛の主管圏に立つことによって、原理主管圏の長成朗完成基準から、完成基準に上がるんだね。七年間で。いかなる迫害を受けても、神様がいかなる試験をしても、神の前に道をそれるようなことは絶対にありえない。死んでもこの道を行く、この道を行って成す、というような夫婦でなければ、神の直接主管圏に入ることはできません。これが復帰路程である。
神が辿った復帰の道
これを果たすことによって、人間の失った責任分担を果たすことによって、神の愛の絶対性、原理の絶対性、創造の相続権を受けるというような、そういう権限を受けることができる。人間の責任分担のために、責任分担があるから堕落したね。それがなかったら直接主管するのにね。
これが復帰路程になっている。こうみれば、今まで数千年の歴史を、数多くの宗教を通して、この道を埋めてきたんだね。あるものはこういうふうにして、あるものはこういうふうにして……あらゆるレベルになっているんだね。特にキリスト教を中心として、世界までこういうような復帰の基準を自分たちも知らないながらやっていった。蕩減の犠牲を払って、こういうようなところを埋めてきているんだね。国境のような長いところを、こういうように短くして、ずうっときておるんだね。それが統一教会になって初めて、これを理論的にみんな鮮明するようになってきた。そうして神様自体からみた場合、神様自体が結局は、サタン世界において僕の僕の道を辿っていったというんだね。それから僕の僕の道、僕の主人の遣、それから養子の道、庶子の道、実子の遣、アダム、エバの道、すべてを全部、神様自体が原理を再び合わせるために、そういう道を今まで歴史を通して辿ってきているというんだね。それ一回だけじゃない。人間は知らないからね。行く途中に反対した場合、新しい者をまた立たして、何百回も何千回も繰り返しながら、この道を辿ってきたわけだ。だから歴史においての神が心情をつくしたことは、もう、言うに及ばないんだね。それを考えてごらんなさい。
みんな堕落した者はこの世的、考えるのは自分を中心として、自分の旦那さんを中心として考える。自分の一家、自分の氏族、自分の民族以外に考えないんだよ。だから出家という問題があるでしょう。家を全部、夫婦を家族を否定して、父母を否定して、すべてを否定して出家する。そういう問題が宗教界にあるようになった。キリスト教にしても独身生活をいう。すべて否定して、乞食から出発する。なぜそういうことをしなければならないかというと、こういう原理的内容になっているから、そういうことをしなければ復帰の道を辿ることができない。仕方なしにそういう歴史を通してきたんだね。
統一教会の道
それで統一教会によってこういう道を、二千年の歴史を、現代キリスト教を中心として二千年の歴史を、それを今のアメリカを中心とする二百年の歴史の上に、二十年の歴史で蕩減するんだね。一九七六年、アメリカ二百年の基盤を中心として、統一教会は二十年の藩減基準を合わせて、今まで摂理してきた。なぜかというと、世界的なキリスト教の天使長的立場に立っているのがアメリカだからだね。
だから先生からいえば、結局、この蕩減の道は、僕の僕の遣から出発する。韓国の地でありながらも、歴史的代表であり世界的代表であるんだね。僕の僕の道。だから乞食生活から、労働生活から出発する。だから自分の家でもって、自分の親戚でもっては、そういう復帰の道を行かれないよ。だから神は今まで自分に近いものをみんな追い出したね。犠牲にしながら。自分の一家圏において、神の直接指揮下において働かせないんだね。外に追い出してだね。必ず誓った場合には追い出す。追い出すには、僕の僕の立場に立ってから出発する。出発はそこだよ。そこから出発して、僕、それから養子、サタン世界の主人の立場、養子の立場、庶子の立場、実子の立場。こういうふうに復帰の道を辿らなければならない。この蕩減の基準をつなげて誰かがこれを立てなければならない。この原理の基準を一代において、二十年間において完成するまで行くのが、アダムが長男として行くべき本来の道だというんだね。いかにして二十年間でこれをつなげるか。それが今までの統一教会の第一次三次七年路程だよ。わかりました? 先生がこれを知ったんだから、結局、サタン世界に追われて、獄中にまで追い込まれたんだね。殺したいんだけど殺すことはできない。神様が背後についているから。そういうような極端な反対の道に立って、獄中に出入りをしながら僕の僕の道から、主人の道から、養子の道から、庶子の道から、実子の道から、こういう復帰の道を辿ってきたのが統一教会の道だよ。わかりました。
それから、今まで統一教会をみた場合には、一九六〇年は先生とお母様が二人で立つようになったね。二人でね。その期間の延長、本当は、これは七年間経った場合には完成圏基盤に上がるんだね。本当は第二次大戦後に、もしも既成教会が統一教会と一つになったとするならば、また聖進様のお母様と一つになったとするならば、七年間ですぐ終わるんだね。そうなった場合にはどうなるかというと、イギリス、アメリカ、韓国が摂理の中心国家になるんだね。しかし、この基準に反対したね。反対したんだから全部が逆になった。反対したんだから、近いものが逆にまわる。それは後ろに行くし、後ろのものが近いところに来るようになる。それでイギリスとアメリカの代わりに、神の反対の方に立った日本とドイツが祝福された。第二次大戦後、なぜ世界的に日本とドイツが祝福されるようになるかというと、摂理国家であるイギリスとアメリカがもっと祝福される基準が、既成教会を中心として神の摂理の中心者である統一教会と一つになるべきであるにもかかわらず、ならないから、そして神に反対した立場に立っているんだから、反対のものが祝福されるようになった。だから反対のものを一つ救うには、復帰するには、より多くの蕩減が必要なんだね。それで韓国の地を中心として、これを再び元返す基準を辿ってくるには、二十年間の期間が必要だったね。だから今の二十年間、三次七年路程は何かというと、第二次大戦後においての既成教会と韓国が一つになるべき、その時と同じような基準に合う、世界的な(意味をもった)そういうような事件である。だから今の韓国と統一教会、ちょうど(当時と)合致している。だから今までの為政者が倒れ新しい大統領を中心として、こういうようになっている。今反対するようになっているけれど、これは反対してもどうにもなりません。蕩減復帰されたんだから、我々は完全にもう勝利の基盤をつくったんだね。それで結局、七年間基準に立って、完成基準、神の直接主管圏内に上がるようになってきた。
それでどういうようになるかというと、ここにおいて、キリスト教と韓国が反対するのじゃなくて、初めて従う道が生まれてくるんだよ。今がちょうどその時だよ。既成教会がいくら反対しても、もう既に勝利したんだから、ついてこざるを得ない、そういう時期になっているんだね。それでこういうような蕩減基準を、先生が生涯においで成しえた基準を君たちも蕩減しでいかなければならない。君たち、いつ蕩減したのか。公式的蕩減をいつしたのか。こういうような原理結果主管圏を上がっていく期間がいつか。先生が成しえた基準を受け継いで、君たちもこれを行かなければならない。それが第二次三次七年路程だ。早くすれば、早ければ七年間で終わる。総動員してすべてを捧げて動けば、七年間でソビエトまで行くことができる。モスクワ大会が可能である。もしもそれが延長された場合には、二十一年まで延長される。なんの話か、わかりました?
そういうことを考えてみれば、先生は今まで既成教会のすべてのものを受け継いでやってきたのだが、イエス様自体からみれば、霊的イスラエル拡大だね。肉的イスラエル拡大は、イエス様が死んだために失っているんだね。それはつないでいない。国がないんだね。イエス様が死んだ以降には国がないよ。イエス様が死なないときには、イエス様を望んで待つときには、ユダヤという国があったんだけれど、イエス様が亡くなった以降には、ユダヤの国もなく、キリストの国もないよ。世界に多くのキリスト教を国教にしている国があったとしても、イエス様の国ではありません。国がない。だから霊的基準のイスラエルとして勝利基盤をつくった場合には、肉的イスラエル圏を拡大しなければならない。だから先生が一段階先に立っている。霊的イスラエル圏において勝利的に基盤をつくった以降には、肉的イスラエル圏を世界的につくらなければならない。
それで今、ドイツを中心として、外的な世界復帰基盤、外的世界の基盤を確保するために、今からずうっとドイツを中心として進むんだね。先生が今度、誉進様を祝福してすくに行ったのはドイツなんだよ。ドイツヘ行って教会をまわるために行ったんじゃない。誰にも、教会にも通告しなかったよ。それは外的な復帰状況を確保するために。ドイツと韓国の外的な基盤をひきつぐためにやった。そうなると君たちは何に責任をもつかというと、内的な責任をもつようになるんだね。外的な基盤において、先生が蕩減条件を立たした場合に、それを自動的に内的基盤の責任を果たす基準に従ってひきつけるようになる。そういうふうにすることによって、イエス様が死ぬことによって生じた霊的キリスト教圏に肉的キリスト国家圏を形成することができるんだね。なんの話かわかった。
それで今から七年間、先生が何をしなければならないかというと、世界的な物質圏をいかに突破するかということだね。こういうような時が来るから、先生は一九七五年、宣教師を送るときに、日本人とドイツ人とアメリカ人を送った。先生の前に日本人とドイツ人とアメリカ人が一つになれば、みんな問題は解決できる。イギリスは自動的にくる。だから現在の世界からみた場合には、すべてはドイツと日本とアメリカでもっている。そういうような摂理の動きをなしているんだね。
そうすると君たちが今、霊的な基準を七年間において再び蕩減するには、父母が蕩減条件を立たせたその基準を相続しなければならない。相続の場がなければならない。ここにおいて、こういうような何千年の歴史を……、「先生が生涯かけて六十年間でやったものを、(君たちも) 六十年でやった場合大変だよ。それを六カ月で蕩減する。先生が迫害を受けながら、こういう蕩減条件を立たしたけれど、君たちにおいては、迫害の時代はもう過ぎるよ。過ぎるようになっている。
六十年の基準を六ヵ月に
日本でもそうだろう。統一教会をそう迫害しないようになっているだろうね。韓国もそうだよ。先生が今度の科学者会議で行った時も、みんな警察がエスコートしてくれた。既成教会が反対しても、国がそういうふうになっている。既成教会が反対するのは何人かのメンバーだけだね。残党がやるんだね。だから今の時期がどうなっているかというと、統一教会の迫害時代が過ぎていく。先生は迫害の中で蕩減条件を立たしてこの基準をつくったのを、今、君たちにおいては、迫害を受けないで歓迎される立場において蕩減条件を立たせるような時期に、もう入っているんだね。わかりました?
それで神様からいえば六千年の蕩減を立たせようとしてできなかったのを、先生からいえば六十年間で蕩減した。蕩減したそのものを、君たちにおいては、サタンの反対のない立場において六ヵ月以内に蕩減できる足場を相続することができる。わかりました? それが何かというとホーム・チャーチである。家庭教会。みんな切れているんだね。どこかで切れている。先生自体における六十年間において、これをみんなつなげて勝利圏を成したね。その出たり入ったり、出たり入ったりして連結したものをね、君たちはその六十年の基準を、こういうふうにして六ヵ月期間において屈服させて帰ってくる。兄さんの立場でなければ上がっていかれない。だからこう出入りして蕩減して帰ってくる。こういうふうにしてここで上がってくる。(図①参照)その基盤が何かというとホーム・チャーチである。わかりました?
だから先生自体においては、ホーム・チャーチはもう国境を越えている。だから世界のどこででも今、ホーム・チャーチをつくっているんだね。これが国境がつながった場合、世界は自動的に理想世界になるんだね。わかりました?
ホーム・チャーチはなんですって? 六千年の歴史的蕩減基準を、先生が六十年間で蕩減したものを縮小していく道である。形は同じだね。アベルの立場に立ってカインの世界に行って、自動的に屈服して兄さんの権限をもらって、そういう八段階の基準をもどして、こういうふうに上がっていけば、ここを中心として神の心情圏に飛んでいく。人工衛星みたいにね。わかりました? だからここ(ホーム・チャーチ)は何かというと、天国へ行く基地である。天の神様の心情圏に着陸する基地である。ケープケネディみたいにね。わかりました? それは誰でも行かなければならない。誰でも堕落した人間は行かなければならない。ホーム・チャーチ基地が残っている以上は行かなければならない。これを本当にわかった場合には、――日本には三十万位いたら、日本全土はみんなホーム・チャーチになってしまう。それ以降の者はどうするかというと、家を売って大移動が起こる。満州でもシベリヤでも、それはもうアフリカでも南米でも行くだろう。その大移動は強制的ではない、自動的にだよ。移動していかないと大変だよ。だからわかる者は世界にどんどん移動して行く。そして移動して黙っておるんじゃなくして、全部がホーム・チャーチをやるんだから、世界はすぐ復帰される時代に入る。わかりました?
天につながる道・ホーム・チャーチ
ホーム・チャーチ三六〇軒は、三六〇氏族と三六〇国家と、それは世界を縮小したものだ。角度からみれば、三六〇は全体を表徴する。陰暦の日数からみれば、三六〇日、一年を表徴する〇三六〇の家を中心としてみた場合、君たちがどういうふうにならなければならないかというと、君たちが行くときには、その主人が窓を開けて歓迎するような家にならなければならない。先生からいえば、日本人でもアメリカ人でも、先生が行った場合には部屋のドアをみんな開けて先生を待ち、侍り入れるようにならなければならない。自分の家ではないのに自由自在に。だから自分の父母の家だ、親父だというような立場だね。だから三六〇軒は自分の一氏族である。この三六〇軒を復帰できない場合には、君たちの氏族を復帰することはできない。なぜ、その外的ホーム・チャーチが必要かというと、自分の一家族を、氏族を復帰するためである。この一家族(ホーム・チャーチ)がね、自分を兄さんとして前に立たせて「帰りましょう」と言って帰るときに、その自分の家に寄れば、故郷に寄った場合には、自動的に復帰できるよ。だからアベル圏の氏族は心配する必要はない。アベルの方は、神様の方の者は心配しなくてもいい。どうせ一つになるんだから、カインだけ連れてアベルを兄さんとして侍り入った場合には、そろそろついてくればいい。自動的に入るようになっているんだね。だから今まで韓国を先生が活動する中心的なところとして拡大しないで、アメリカと日本に重点的に活動をしたんだね。今はドイツに重点的に活動するんだね。すべてをドイツに持っていくんだね。日本からもアメリカからも韓国からも「みんなドイツに持って来い」と言うんだね。
だから誰でもホーム・チャーチは必要じゃない。(必要です)。これは必ず必要である。ホーム・チャーチを通過しなければ、それは天につながれない。それを聖書ではね、「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ十六章十九節)と言っている。だからホーム・チャーチにおいて最初は迫害を受ける。受けても、今はもう歓迎される時期になっているから、統一教会はすばらしいと言われるようになる。今度の科学者会議で、百九ヵ国の世界的な学者たちが帰っていって「今度の会議はすばらしかった。レバレンド・ムーンは偉い人だった」と口をふさいでもするようになっているよ。そういう時代になっている。
迫害はすぎ去り、統一のホーム・チャーチの基盤は歓迎の基盤の上に迎えられるようになった。力を尽くしてやれば、原理だけ完全に消化して語れるようになれば、六ヵ月以内に完全に終わる。長くて六年。六年もいらないだろうね。そういうふうにした場合には、君たちにとってその三六〇軒は自分の天国だ、自分の国だよ。氏族のメシヤ、メシヤとは何かというと、氏族の王様だよ。氏族の王様がたくさんつながれば自動的に復帰される。わかりました?(はい)。
世界を縮小した祭壇
だから君たちは今、家庭を持った、祝福を受けて子供を持ったといって、「子供がいるので伝道できない。ああ、ここでとどまっていたい」そう言うことができないんだね。すべてをおいて外に出て、誰かが復帰の路程の過程を、通過しなければならない。兄さんの権限を八段階の基準につなげるために、出て、そういう基準の条件を立たさなければなりません。その伝道の基地を先生が万民に授けるような、そういう時代に入ったんだから、それ以上の福運はない。わかりました? 君たち、ホーム・チャーチをアパートなんかに決めた場合には、一時間以内に三六〇軒をまわるだろうね。だから、この三六〇軒を中心として、神様が努力した、先生が生涯かけて努力したような、迫害を受けながらも続けてやったことを思ってみた場合に、自分たちが迫害されないとしたら、自分たちによってかえって向こうが迫害されるような努力をしなければいけない。向こうが「たまりきれない」と逃げていくような……。家を任せて皆逃げていった場合には、自分の家になってしまうよ。(笑い)。復帰はすぐできる。だから自分の家では絶対復帰できません。わかりました?(はい)。必ず出て、闘って、勝利した後に兄さんの権限をもって帰ってこなければ、絶対上がっていかれません。これを今までいかなる宗教もわからなかった。この基準において霊界がみんな分かれている。誰がそれをつないでくれるか。今、先生がつなげてくれるんだから、キリスト教がもう一ぺんに統一教会に入るようになればね、キリスト教会も解放圏に入るんだよ。日本の先祖たちはみんな首を長くして「統一教会と一つになって、いかにして日本が全体的に復帰できるか」と待っている。日本が復帰された場合には、霊界に行っている日本人がみんなついてぞろぞろ入るんだよ。競って自分の国が天と一つになることを願っている。わかった? なんの話か。
だから日本人の国じゃないよ。神様の子供としての日本の国であるという、そういう考えをもたなければならない。わかりました? 日本精神では通じません。統一精神を兼ねたのちの日本、それは通じるね。日本を先にしては通じません。世界に通じる日本人は天につくことができるけれど、日本に通じる世界、そういう考え方は、それは霊界に通じません。ホーム・チャーチは日本でやったとしても、世界を縮小した、そういう日本の地であるという実感をもたなければならない。それは世界のためである。「それは先生が世界を舞台にして一生涯蕩減条件を立たせて縮小したものを祭壇として自分にくれたものだから、我は誠心誠意を込めてそれを揮げる。血と涙を流しつつ、三六〇軒すべてを生きた捧げ物として神に捧げるのが自分の使命である。そこの祭司長である」。それがホーム・チャーチの責任者である。わかりました?(はい)。これを忘れてはいけない。自分の奥さんを愛するだろうね。それより以上愛する。自分の子供にキスするには、ホーム・チャーチの人たちを自分の子供より以上愛した条件をもった後にキスしなければ、サタンに讒訴される。そうだよ、先生はそういう生活をやってきたよ。三十六家庭を中心としてね。先生の子供たちを「みんな、向こうへ行け」として、朝の食卓なんか、みんな別個にして、子供たちを放りっぱなしにして、みんな三十六家庭が来たら先生が直接前につれて食事をしたよ。そういうことをやってきているよ。それで子供たちは「お父様は三十六家庭しかわからない」という。仕方がないよ、原理がそうだから、原理基準を通過するには仕方ない。三十六家庭自体が「そうではない」と言うことはできないだろうね。今まで先生はそういうことをやってきた。今まで先生の家の門は完全開放だね。誰でも自由出入りだね。今までそういうふうにやってきたよ。今からはそうじゃない。今からは先生も新しく家庭をもって、新しく氏族編成をなしていかなければならない。だから新しい制度を立たしていかなければならない。時が違ってくるんだね。
しかし君たちはね、三六〇軒(の人々)が夜に入っても、夜に門を蹴飛ばしたとしても、叱らずして開けてやらなければならない。「もう力がない、疲れた。もう夜遅くなったから明日やれば……そう言うことはできません。いつ飛んで来ても、それは親の立場でつきあってやらなければならない。だからみんな、それで自分を親として侍るよね。事務的ではない、心情的だ。事務は璧がある。心情は璧がない。それは事務的というのは平面的であり、心情は立体圏であるというんだね。わかりました。だから三六〇軒の一番から三六〇軒の窓をくぐって、こう出ても、反対する者のないようにするのが、ホーム・チャーチ運動である。
歴史の希望・ホーム・チャーチ
そうするには原理を教えなければならない。だから自分の所有は――原理からみた場合に――自分の所有になる前に父母の所有になるべきである、というんだね。原理がわかった場合には、ホーム・チャーチの責任者に「どうぞ、これはホーム・チャーチの責任者のものです」と言う。しかし、ホーム・チャーチの責任者自体がそれをもつことはできないよ。それも真の父母の所有であった、というんだね。真の父母自体もそれは自分のものではない。真の父母の所有になる前には、神様の所有であった。そういうふうにして神様までこういうふうに届けて、神様から真の父母を通して、自分のホーム・チャーチの主人を通してもらわなければ自分の所有権が生まれてきません。いくら自分の住んでいる家だといっても、自分の家ではない。それを自分の所有にするには、ホーム・チャーチの責任者を通して、真の父母を還して天に捧げて、天の名前でもって捺印をして、それから真の父母に授けられ、それから真の父母からホーム・チャーチの責任者に授けられ、ホーム・チャーチの責任者から授けられてこそ、初めて自分の所有権が生まれてくるんだよ。この原則があるから世界すべては神以外のものではない。
自分のものになる前に誰のものになるって?(真の父母のもの)。真の父母のものになる。統一教会のいうホーム・チャーチからいえば、そのものは自分のものではない。真の父母のものになるんだ。真の父母のものになる前に、神様のものになる。だから日本の国は誰の国か。結局は神様の国である。世界の国は皆、神様の国である。そういうふうに考えてみれば、みんな泥棒だ。
神様からいえば、どこでどうとか、国境がない。そういう神様の観点からハイウェイをつくろうというんだよ。(笑い)。ハイウェイをつくったらいつでも日本に行かれるよ。二時間半たったらすぐ日本に着くよ。日本に行くのにも、ビザとか不要になるだろうね。ハイウェイをつくろう。世界的思想をもって、一国家主義を超越した精神をもたなければ、世界的なハイウェイの管理はできませんね。将来君たちが何千キロの責任者になるかもしれない。誠意を尽くしてやろう。
だから、ホーム・チャーチは・絶対必要である。もしも、うろうろしていてホーム・チャーチをもたなかった場合には大変だよ。ふろしきを持ってでも、アフリカヘ行かなければならない。世界は、そういう世界になるんだよ。毎日、先生は新聞で宣伝するよ。将来、ホーム・チャーチ活動を讃える時期がくるよ。「どこでどうなった。どういうふうになった」と世界的宣伝を、テルスター(衛星)を通してすると、考えてみなさい。何年以内で世界は完全に一つになってしまうよ。キリスト教全部が原理を理解するようになったとするなら、どうなるだろう。考えてごらんなさい。彼らはみんな生命がけで「行くな行くな」と言っても、もう小さい島まで、どこでも行くようになっているよ。アフリカが問題ではないよ。こうすることによって、一つの同じ兄弟愛に結ばれる世界が生まれる。わかりました?(はい)。父母の恵沢によって、みんな蕩減条件を成して、サタンが攻撃する迫害するそういう基準をみな越えて「迫害されない基準において、それを相続して、この条件だけつけて行きなさい」という、それを「できない」と言うなら「死んだ方がいい」と言うんだね。なんの話かわかった?(はい)。君たち、これをはっきりと知らなければならない。だから今、ホーム・チャーチというものは、歴史の希望だ。希望基地である。歴史の希望の場所である。それは摂理上からみた場合には、神の摂理の希望の的である。すべてがここにおいて集結する。サタン世界の結末がつけられる。地上天国の実現の出発となる。それこそ人間世界において、歴史以来、神の摂理以来の希望の地がなんですって?(ホーム・チャーチ)。
ホーム・チャーチにおいて涙を流しながら、汗を流しながら、すべての一心の誠意のこもった愛を集中し、その三六〇軒のメンバーたちが自分の親より、自分の夫より、自分の妻より、自分の子供より尊く君たちを尊敬するような環境までするには、それは易くありません。それには原理を教えて――原理がわかればすぐわかるよ。原理を教えないと絶対に難しい。だから何をするにもホーム・チャーチでやりなさい。すべてをホーム・チャーチでやりなさい。朝飯も、そこへ行って食べなさい。だから結局、そこに行って住むんだね。だからホーム・チャーチは、こういうような歴史的な、すべての解決の基準だ、基盤である。それを先生から無条件に相続された。なぜ相続したか。真の父母と自分たちは子女という名儀をもっている。真の子女という名儀、父子関係の名目をもっているから相続する権限がある。わかりました?(はい)。君たちを見る場合、先生としては、これは自分の実子と同じように思う。先生からみた場合、何百万、何億の人類があっても、それがみんな子供だ。子供のように考えなければならない。先生の骨の中にあった生命の種みたいなものがね、いっぺんに生まれたような、いっぺんに生まれたと思うんだ。そういう思いをしないといけない。だから自分が今まで関係をもった自分の親戚、いかなるものよりも心情的に深く先生と因縁をもたないといけない。
統一教会において祝福されたメンバーからいえば「旦那さんについていくのか、先生についていくのか」ということだよ。旦那さんは問題ではありません。左足で蹴ってしまう。先生もそういう道をずうっと辿ってきたよ。それをはっきり知らなければなりません。だから君たちは、今においては祝福された子供をね、そのまま愛することはできません。ホーム・チャーチのメンバーを、祝福された子供以上に愛した条件を立たさなければ、サタンが讒訴するよ。聖進様に先生はキスもしたことないよ。手を握ったこともないんだよ。み旨の摂理を知っている以上は、カインの子女を三人以上、自分の子供より以上愛したあとに自分の子供を愛すべきである。それがみ旨だから……。だから聖進様はお父様に対してね、今までそれは理解できなかった。今は原理をわかって、ああ、お父様はこういう内容でされたかと、今は悟って、お母様、お父様に対して感謝している。昔と違っておるんだね。
誰よりもホーム・チャーチを愛する
だからこれはみんな逆説的である。逆説的な方向を通過しなければならない。先生の今の子供たちもそうだ。原理は一歩も譲歩することができません。通過していかなければならない。わかりました? だからホーム・チャーチを中心として――日本の祝福された子供たちを非常に尊重するのもいいんだけどね、その尊重するより以上、カインの子供を迎えなければいけない。
だから今度、三次七年路程を終わるときに、誉進様の祝福がそうだね。誉進様は偉いところがあるよ。そのときちょうど試験を受けていたね。それを十三日に呼んだ。「来なさい」電報を受けて一日に三課目を試験受けて飛んできたね。そのときは結婚とは夢にも思わない。「なんのことで来なさいというのだろう」――約婚して結婚しなければならない――とんでもない、夢にも思わないことだよ、よくもお父さんの話を聞いて三日以内にちゃーんと結婚式をしてしまった。
そうすることによって、どうなるかというと――もしもそうしないと、先生を中心とした家庭がピラミッド式になっている。先生を中心としてみんなつながっておるんだよ。カイン、アベルになっている。しかし、先生は本来父母であって、父母の立場であって、君たちは子供だよ。本来はカイン、アベルの基準に立ってはいないんだね。これをどういうふうにして平均的に上げるかというと、父母の前にアベルの家庭をつなげる。アベル家庭に誰が立つかといえば先生の子供だね。外的には聖進様と、誉進様を中心として、子供二人、男と女基準をつなげることによって、君たちの祝福家庭とカイン、アベル二つになって、カイン、アベル基準が立ったんだから、先生は一段階高く上がるんだね。だから霊的摂理段階を越えて外的世界の基準、基盤をつくるために、今までそういうことをやっているんだよ。今もそうだよ。それは原理だよ。
だからカイン、アベルは一つにならなければ帰っていかれない。カイン、アベルが一つになった後に父母が復帰されるよ。その復帰された母とカイン、アベルが一つになった後にアダムが復帰される。それは原理だよ。アダムを中心として、アダムのあとにエバと子供二人が一つになって、そして天に帰らなければならない。堕落するとき、アダム・エバとカイン、アベルが堕落した。それは自分たちを中心として。これは絶対的に神を中心として、絶対的に父母を中心としてだよ。カイン、アベルはアベル自体が父母を中心としたんじゃない。自分を中心としてカインはアベルを殺した。そうしたら復帰できない。わかりました?(はい)。君たちの家庭もそうだよ。自分を捨ててね。君たちの前には必ずカインの者が侍るようにならなければならない。自分の子供を三人のカインが侍るようにならなければならない。イエス様の前のペテロ、ヤコブ、ヨハネのようにね。イエス様が子供を生んだ場合には、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ三人の者が供物を捧げるように、一つにならなければならない。そういうふうにならなければ地上に基盤をつくることはできない。わかりました?
だから、今まで君たちは子供を愛してきたんだけれど、今からはホーム・チャーチの基盤を受け継ぐんだから、自分の子供より、自分の奥さんよりホーム・チャーチをより深く愛さなければならない。金があった場合には、奥さんに持っていくのではなくて、子供に持っていくのではなくて、ホーム・チャーチに持っていって配ってやりなさい。そうしたら奥さんがブツブツ言う、子供たちがブツブツ言うでしょう。ブツブツ言ってもそれに関係しなくてもかまいません。祝福された子供、奥さんがブツブツ言うんだったら、こう話してあげなさい。「み旨の道はこうだから、君たちは苦労するのがいい。そのかわり、わたしの食べるホーム・チャーチのごはんを持ってきて君に食べさせるから、わたしは食べなくてもいい」。なんの話かわかった? ホーム・チャーチに行ってカインの子供、カインの人たちを食べさせて――食べさせてやるのに彼ら自体だけ食べるわけにはいかない。自分も加えて食べるんだから「わたしは食べなくてもいいから」と、そのときのごはんを持っていって自分の子供と妻に食べさせる。屑をだよ。そういうことを考えなかったろう。先生自体がそういうことをやっているんだよ。今までやってきたよ。君たちが明日出発するからといっても、夜遅くまで先生こんなこと(話し)しなくてもいいのにね。だから、これは負債したそのものとちょうど同じだよ。それは弁済しなければ、重荷を抜き取ることはできない。わかりました?(はい)。
苦難は祝福に至る道
君たち、今、ブツブツ言って、誰が悪いとか彼が悪いとか、そういうのをみればね先生は夢みたいに考える――ああ、僕の僕の道がどういう道を辿って行くというのに、ああいうような腹をもって堂々と言えるというのは、ああいうような心情は、どこから出るのか。先生は教えてやらなかったのに――。あまりにも傲慢である。あまりにも自信満々である。先生が見ても不思議に見えるね。先生が教えた原理はそうだったかなあと思う。話はよく知っているんだね。僕の僕の道、何道、何道……。しかし、実際「行け」と言うと「いや」と言う。話になりません。我々に文句はありません。
先生は牢獄にずうっと入ったね。一つの例をあげればね。霊界や神様はね「レバレンド・ムーン、あなたをこういうふうに祝福してあげる」と、世にない、天下に満ちるような祝福をするんだね。「まちがいなくそうなるから」と。そうなるのを待っているのに牢屋に引き込まれるんだね。それが祝福だよ。わかった? それが祝福だよ。話はでかーい「天下一になる」というのに、すぐ牢屋に引き込まれる。原理がわかってみた場合、それが今から実際の祝福の道を受ける道だということがわかったんだよ。それがわかったんだから不平を言われないよ。打ったら「打て打て!打つものは打て!百回打つのを千回打て!」。「それで蕩減の時間が短縮される」。そう思うんだよ。涙が流れる自体をまだ打て! それによって蕩減の時間が短縮される。だから、打つ者を恨む、そういう思いを持つことはできないんだよ。「もっと打て打て! もっとやりたい者やれ!」。そうすれば自分の行く道が早くなる。なんの話かわかった? だから夜なんか遅くなって帰るときに疲れた場合には、この足を「この足行け!もう一歩行け、行け。倒れるまで行け!」。そうして蕩減の道を短縮することができる。運命づけられたこの遣を、死ぬ前に早く通過しなくてはならない。忙しい。そうしないと大変である。死してこの道を辿った場合には、永遠に続いてゆく。この短い地上の生来の生命というものは惜しいことはないというんだね。蕩減をふっかけられて早くこれを乗り越えれば、価値ある将来が生まれる。だから二十年の三次七年路程を四年間も短縮したよ。一九七六年にみんな終えてしまった。わかりました? 冒険でもなんでもやりなさい。死の境地まで、先頭に立って。今度のアメリカの法廷にも「よし。先生、先頭に立つ」。最後の峠をきれいに立派に越えなければならない。わかりました?(はい)。
我々は不平を言うことはできません。復帰のために先生が、今まで君たちに命令してきたね。「今までアメリカ援助とかやったのに、今ドイツとかなんとか、いつまで続くのだろう?」。無限に永遠に。三代まで、先生が命令することができる。三代まで。君たちと君の子供とその子供、三代が一つのチームだよ。蘇生、長成、完成、おじいさん、おとうさん、子供。三代が一つの四位基台のつながりだよ。だから先生は三代まで命令することができる。それなのに一代で不平を言うことはできない。君たちが後孫を愛した場合には、一代で成し得る、その忠誠の心でもってなすのが、今、現実に即している我々の使命じゃないかと思うんだよ。できれば一代でこれを早く終えてしまおう。夜に休み、走りながらも、もっと走れ。山を越えて休みたいんだけど、休むより、山をまた上がる。そういう思いでやる。わかりました?(はい)。君たちは口で不平言うことできない。 先生が不平言ったら、先生がこの道を絶対行かれません。そこで残って君たちにこういうこと言われませんよ。不平とか不満とか、復讐とかね。いかに復讐でこの道を行かれる? すべてが怨讐なのにね。だからすべてを忘れて行くんだよ。全部が怨讐なのに、復讐していかに行けるだろう。復讐したとすれば殺されてしまうよ。だからみんな忘れて行く。怨讐を忘れて行く。かえって祝福して行くのが、心がやすいんだね。見ただけでも堂々としてる。そうすれば怨讐は頭を下げるんだね。わかりました?(はい)。
重要な天の摂理期間
日本全体に責任もって、目的を果たすためには――時はいつまでもありません。今から四年間、八四年までの期間で――この期間をのがした場合には大変だよ。日本自体がめちゃくちゃになるよ。世界がめちゃくちゃになる。我々を通して、我々を代表として神は選んで、こういう運命づけられたものとして歴史に選抜して立たせた。その責任者というものは、これは偉大なものである。死を決しても果たさねばならないような(その世界的、全体的責任感をもって立っているということをいつも感じる。痛切に体恤する。そうでなければならない。鼻ずりながらも泣きながらもやり続けなければ、神に申しわけない。そういう自分の恥ずかしさを知らなければならない。エバが堕落して天宙全部、アダムのものをみんななくしてしまったね。だからエバが死を覚悟して復帰する。それが原理だよ。それ、違っている? エバがみんな堕落させたんじゃないの。エバは二人の子供、天使長を育てるんだね。アメリカに応援するんだね。そしてドイツに。それはアメリカの歴史に残る。ドイツの歴史に残る。誰が応援した。日本が応援した。それで日本は浮きあがるよ。わずかなことでもって、日本が甦る。
こうして、苦労した君たちをね、それをもっと苦労させて、すばらしい栄光の場に立たせたいのが先生の思いである。それをはっきり記憶しなければなりません。わかりました。文句を言われません。考えてみなさい。天から授けられた恵沢を受けながら文句を言えるだろうか。口を開けることもできない、そういう自分だったにもかかわらず。死しても、なんの弁明もできない自分であることを知っておる以上は、不平とか、できないということは言えないんだね。わかりました?(はい)。日本の幹部がこれをはっきり知らないといけません。こういうふうにして蕩減復帰――心情を通さなければならない。心情だよ。僕の心情を通して、養子の心情。養子になった場合には、世界的な怨讐みたいな立場の養父母がね。みんなそういう立場に立って迫害するんだから、心情的にこれをつながなければならない。涙ながらにつなげた心情圏の道を行かなければ、蕩減復帰できません。わかりました?(はい)。
そうすると今、君たち、どこを行っているのか。君たちはどこの段階を行っているか、わからないといけない。先生はそれをちゃーんとわかって、それを上がってきたよ。君たちも五パーセントを蕩減しないといけないだろうね。どこで? いつ? ホーム・チャーチで。いつ? 夜も昼も。蕩減復帰するんだ。それを蕩減復帰するのは君たちの方が(先生より)早いよ。原理だけ語ってやればね、すぐだよ。修練会をすれば、すぐ「統一教会はいい。世界第一の統一教会。誰でも統一教会を信じなければならない。ああ、レバレンド・ムーンはすばらしい。世界第一だ」と。こういうふうにね。「天来の理想的な理想である」と、そう言って、みんなが大声を出せば、社会的な常識になって、新聞に載った場合には、一日でみんなかわるよ。難しくないよ。だんだん易くなる。今が最初だから、なんだけどね。今から三年、四年、十年後のこと考えてみなさい。いかにホーム・チャーチがたやすいか。部落が総動員して「ホーム・チャーチをつくって下さい!」、そういう時がくるんだよ。その時よりは今やる方が、もっと価値があるんだね。わかりました? そういう思いでホーム・チャーチ地域を各自がもって、そこを基盤として活動しないといけない。
だから君たちに苦労をさせながら、先生はより以上苦労しながら、将来君たちの行くべき、外的な世界の蕩減基盤を短縮させる。これから七年間でしなければならない。 二十一年のうちに二千年代になったら大変だよ。共産党に相当やられるんじゃないか。だから時がない。そういうふうに思いまして――諺があるでしょう。「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」。霊界が援助しているよ。先生は恥ずかしくてたまらないんだよ。霊界がこういう小さい先生一人のために。全体の霊界がね。なんの関係もない日本を援助しているのをみればね。君たちを見て援助するんじゃないよね。先生があまり真剣になっているから。あまり真剣になっている。君たちはただ一日を、こう熱心にやればおしまいだよ。責任のつながりがない生活でいい。しかし先生は、そうはいきません。一日一日、責任のつながりの結果を打診しなければならない。そういう立場の一日である。それは深刻だよ。行けば行くほど、それは深刻だよ。天から運命を受けている。君たちはそういうことしないだろうね。つらかったらつらいとかね。そう簡単じゃないんだよ。もう長くないよ。八四年まで、先生、八四年までと言うんだよ。もう八一年が過ぎたじゃないか。あと三年二ヵ月、強く打てば穴が開く。まちがいなく開く。今まで先生が言ったことで、合わないことはない。成さないことがないね。アメリカヘ行って、アメリカ人も信じたね。先生が言ったことを、みんな成してきた。夢みたいなことをね。
我々の決意を総結集させて、目的の方向にこれを集中して打てば、これは穴が開く。その信念でもって。君たちは日本のメンバーだね。幹部だね。日本、一億二千方ばかりじゃない。祖先、先来、歴史の霊人体すべての運命が君たちにかかっている。それを考えてみた場合、先生は君たちに強く命令する「責任をもて」これを果たさなければならない、そういう覚悟をもって帰らなければなりません。病気になった子供が手遅れになったとしたら、切らなければならない。癌にかかった自分の奥さんでも、無慈悲に腹をさいて、その部分を切り出さなければならない。それが愛である。今は、そういう時期である。未来を中心としてみれば、今は、深刻な過程を通過する瞬間であるということを絶対に忘れてはいけません。口を開けて不平を言うことができない。わかりました? 君たちは、そういう方面に総動員して総結集して、日本において前進してもらいたいのが先生の願いだよ。そういう希望をもって帰って、一緒になって進んでもらいたい。わかりましたね。(はい)。ホーム・チャーチ、はっきりわかりましたね(わかりました)。ホーム・チャーチがどうだということをね。涙ぐましい歴史である。