ホームチャーチ運動とは、記録をみると1976年くらいから言われ始め、78年くらいから本格的に動いています。そして、UCが捉えたホームチャーチとは、路傍伝道から、自分の家や教会の近所で訪問伝道する、伝道形態の変更であると理解して、一時期そのような活動を実施しました。

しかし、文先生の御言をみますと、ホームチャーチとはそういうものではなかったことがわかります。

 

「家庭教会(ホームチャーチ)」という本のP12(テキストP16)に以下のごとく載っています

 

『家庭教会はそもそもエデンの園において成立すべきでした。すなわちエデンの園において神を中心として、アダム、エバが一体化し子女を繁殖して、そのアダムの家庭において、神を崇めるようにしていたならば、そこにおいて神の愛による家庭教会が成立していたはずなのです。

(1979-1-1 家庭教会と天国完成)

 

神の創造本然の理想は先ず個人から出発し、男性と女性が家庭を作り、その神を中心とした家庭が、社会、国家、世界へと拡大していくことでした。従って、家庭教会が社会教会、さらに国家教会、世界教会へと拡大していって、天国を実現することが神の本来の理想だったのです。ですから統一教会が家庭教会を建設するということは大いなる光栄です。なぜならそれを実行することによって、私たちは神の創造理想の出発点たるエデンの園の理想を経験することができるからです。(1979-1-1 家庭教会と天国完成)

 

神の創造理想はアダム、エバが家庭を作り、子女を繁殖して、地上に天国を実現することによって、霊界においても永遠なる天国に住むことでした。もしこれが実現していたならば、アダム、エバの子孫たる人類は、すべて天国に住むようになるはずでした。そうなっていたならば、アダム家庭の伝統は子孫代々に受け継がれて、人類全ての伝統となっていたことでしょう。そして神を中心とした家庭教会が人類全ての唯一の伝統として継承したことでしょう。』

(1979-1-1 家庭教会と天国完成)

 

ですから、「家庭教会」とは、この御言を読んで、近所まわり伝道の話とわけが違うということを理解していただけるかと思います。ホームチャーチ、家庭教会とは何なのかというと、これは「アダム家庭」をさすのです。すなわち、神様を中心として立ったアダム家庭、これが家庭教会だったのです。

 

神様の理想はどのように実現するようになっていたかというと、それは神様を中心として、まず個人から出発し、男性と女性が家庭を作り、神を中心としたその家庭が、社会、国家、世界へと拡大していくようになっていました。従って、家庭教会が社会教会、国家教会、世界教会へと拡大していくようになっていたのだと、先生は語られています。

 

ですから、ホームチャーチ運動とは、家庭教会、即ち、「アダム家庭を復帰するための運動」だったのです。

 

これはもともと天国で成されるべきものだったものを、歴史の最後に、再びそれを成せる時代がきたので、我々にとってそれは最も光栄なことなのです。このアダム家庭が作られていったら、それが人類全ての伝統として継承されていくものになるのです。

 

■ホームチャーチは伝道の手段ではない

「家庭教会」の本を見ると、

『ホームチャーチは伝道するためではなくて、摂理的観点から出発したものです。』

【1978-9-23 我々の今後の活動】

 

ですから、これは伝道のために起きている運動ではなく、神の復帰摂理の中で起きてきたものなのです。なぜなら、神の摂理の目標は「アダム家庭ただ一つを探し出すことだった」という御言があったので、そういう観点から出てきた運動なのです。

 

他にもP6には、

 

『ホームチャーチは単なる伝道のための手段ではありません。ホームチャーチは運命なのです。堕落人間がこの道を歩まなければならない運命なのです。男として生まれれば、女と結婚する運命にあり、女として生まれれば男と結婚する運命にあるように、ホームチャーチは堕落人間が歩まなければならない運命なのです。』

 

このように語っておられます。

また「家庭教会」P14には、

『イエス様はペテロに天国の門の鍵を預けていきました。天国の門を開けることのできる核心的な内容がホームチャーチなのです。』

 

P35

『天国の鍵は何でしょうか。それはホームチャーチです。それ以外ありません。』

 

P7

『イエス様は天国に入る鍵をペテロに与えられました。今日私は家庭教会をあなた方が天国に入るための鍵として与えます。』

 

ですから、まさにこの家庭教会こそが、私達がこれから天国に入るための鍵となっていて、これを通過せずしては天国に入ることはできないのです。

 

また、ホームチャーチ運動することが、最高の特権だという御言があります。

「家庭教会」P6です。

 

『ホームチャーチは第一の摂理です。他のどんなものも二義的なものです。わかりますか。私はあなた方だけではなくて、全世界の全統一教会員に対して、この伝統の伝授を宣言します。』

 

『歴史を通じて、他のどこにも統一教会以外には、だれもそのような最優先権と特権は与えられませんでした。ホームチャーチを行う限り、それはあなた方の最高の特権であり、他の全てのことは第二義的なこととして免除されます。』

 

何か摂理があるから、これをやりなさい、こうしなさいなどと言われても、「いや、ホームチャーチをやっているので・・・。」と言ったら、全て免除されるという「最高の特権」だというのです。

 

天一国時代の原理が理解できてくれば、このホームチャーチ運動を行うことが神の目標だったのですから、どこかで何か外的なことが忙しいとか、そんなことは一切免除してあげる、絶対ひっかからないというのです。それくらい重大な特権を持ったものだということです。

 

それからホームチャーチこそ、復帰摂理の目的地であるという御言があります。

P 38

 

『私がなぜ、どんなに避難されながらも、悲しみを耐え、命をかけて、ホームチャーチをつくりあげようとして生きてきたか、その理由が今、初めて分かりました。ホームチャーチこそ私がしようとしたことであり、イエス様、そして全ての宗教者がしようとしたことです。今、あなた方はそのことが分かります。ホームチャーチが目的地であったわけです。』

 

P38

『統一教会においてこれからの復帰摂理の終着点はホームチャーチです。』

 

『神の摂理を完成させる道を結論づければ、それはホームチャーチによって、完結すると言えます。』

 

このように、ホームチャーチ運動こそが、私達がなすべき最後の目標であるのです。

 

ファミリー81年3月号には以下のような御言があります。

 

『ホームチャーチをしていると、あなた方はそれがまさにイエス様の働きの本当の目的であったということがわかるようになるでしょう。イエス様はかくも懸命に働き、弟子達を集められ、説教をされましたが、彼はそれは何のために成されたのでしょうか?それによって弟子達と自ら自身をホームチャーチに送るためです。さぁ、この価値をどれほど多く分かってもらえるでしょうか?このホームチャーチのために神が苦労し、イエス様が命をなくし、私も苦労し、数多くの宗教者達が犠牲になり、数多くの戦争歴史を今日まで続けてきました。ホームチャーチさえすれば、自動的に人格形成が成されて、国ができあがります。』

 

人格形成はどうやったらなされるのか? ホームチャーチをすれば自動的に成される。もちろん、オートメーション的にはできないでしょうが、アダム家庭復帰運動をしない限り、人格形成というのは絶対にできないのです。アダム家庭復帰運動をすれば、当然それは人格完成運動でもあるので、それがなされてくるということです。

 

それから、「家庭教会」P84を見ると。

『360軒の人々に歓迎されるようになれば合格です。360軒のある家の屋根に蜘蛛の巣があった場合には誰の責任ですか?天国のように愛するのです。天国のように愛すれば、正しく自分の天国が生まれてきます。ある条件圏に立った場合には、霊界の善霊が動員して直ちに復帰されます。嘘ではありません。やってみなさい。自然屈服圏を作って自分の活動圏とするのです。そうして四方八方に食口たちが連結するのです。360軒に反対するものはサタンです。あなたの一族は360軒を命懸けで死守して天国の基台とするのです。そこに不良少年がいた場合は、あなたの責任ですよ。そこで勝利した場合には、故郷に帰っても自然に「はい、はい」とあなたの言うことを聴くようになります。』

ここにはっきり‘360軒は四方八方に連結された食口たちなんだ’と文先生は言われています。近所まわりの人ではなく、食口が集まって12家庭、72家庭、360軒、ホームチャーチを作っていかなければいけないということです。

 

なぜ360数なのかというと、360というものは全体を表すからであり、あるいは1年365日、1年を表徴するもの、神様の歴史を表すだとか、地球を表すとかいう御言があって、結論をいうと、360は「全てを表す、天宙を表す」ということで、360という数字を言っているのです。

 

厳密に360軒住宅地図にしるしをつけて塗りつぶしながら近所の訪問をしたりした、そういうことではないのです。食口たちが全世界、天宙を表す基台を作らなければならないのです。

 

その原理数として360の食口たちが四方八方に連結されると、そういう食口の中に、「屋根に蜘蛛の巣があった場合には」と言っているのは、要するに、何となくサタンが乗っかっているような家庭があったら、そこに行って掃除してあげなさいということなのです。そういうことを譬えているのです。そうして360軒の食口の基台を作りなさいということなのです。

 

ホームチャーチは一旦、1976年、77年、78年あたりから本格的に始まっていくのですが、文先生としては87年までに一つの形を作りたかったようです。しかし、できなかったら2000年まで延長されて準備をするという御言があります。それはマルスム選集の、1979年10月26日に語られた「摂理史的現時点」という御言があって、

 

『今からホームチャーチに投入されていかなければならないのです。1987年まで皆さんは完成できなければ、いつまで延びるのか、2000年まで延長するのです。』

 

ということで、延長されました。いよいよ2000年を越えて、再びホームチャーチをなすべき時が戻ってきたわけです。

 

それからホームチャーチという観点で、もう一つ見ておかなければいけない御言が、「家庭教会」P116にあって、ここには、文先生が霊界に逝かれたら、戻ってくるんだという御言があります。

 

『私が戻ってくる時は、統一教会に戻ってきますか? それともホームチャーチに戻ってきますか? (ホームチャーチ)なぜですか? 教会は家庭のための、社会のための事務所のようなものです。それはちょうど中間のようなもので事務所です。しかしホームチャーチは神が働くことができるところ、父母様が働くことができるところ、息子娘が住むことができるところ、一生涯共に暮らすことができるところです。真の兄弟がそこに住み、真の氏族がそこに住みます。それがホームチャーチです。』

「家庭教会は私の天国」1981.1/1

 

ですから、文先生はホームチャーチを訪ねてくるようになります。霊界に行かれてもう1回戻ってくるというのは、再臨復活して来られるのです。再臨復活して来られた方が、これから我々が迎えようとしているアダム使命者のことになります。

 

イエス様が再臨復活すると、再臨主という形になりました。そして再臨主も御旨がまだできてないと学びました。ですから、当然御旨は絶対的なものなので、完成するまで再臨復活しなければいけないのです。我々もそうだし、メシヤも当然そうだし、アダムも御旨ができないから、第一、第二、第三アダムというように復活してくるのです。

 

次なるアダムに文先生が復活して戻ってくる時、ホームチャーチを訪ねるとはっきりおっしゃっているので、ホームチャーチを作ったところにメシヤが訪ねて来るようになります。

 

では教会はどうなるのかというと、社会のための事務所のようなもので、それはちょうど中間のようなものだ。事務所というのは教会を助ける所なのだと語っておられます。

「家庭教会」P117を見ると

『一旦、ホームチャーチ制度が完全に確立されると、私たちは本当にいかなる組織も必要としません。統一原理は学校制度の中で教えられるようになり、もはや教会の指導者達も必要としなくなるでしょう。これは少しも悪い知らせではありません。私たちはもっとも輝かしい生活を持ち、この目標を持って、最終的勝利を得る最後の日まで前進します。』

 

「家庭教会」 P119では

『ホームチャーチは何よりも貴いものです。アメリカの大統領になることよりも、百万長者になることよりも、いかなる成功をすることよりも、問題でないほど貴いものであることを知らなくてはなりません。皆さんがホームチャーチにだけ勝利しておけば、皆さんが死んだ時にホームチャーチの人たちが賛美と讃揚をもって見送り、霊界全体がそれに拍子を合わせて歓迎するという事実を知らなくてはなりません。そこで死んだとすれば、皆さんは直ちに天の国のどこにでも通じることのできる復活体として、すなわち何の制限もない神様の息子の特権を持って、復活することができるのです。そうしなければ先生の行くところに共に行くことができません。神様のおられるところに入っていくことができないのです。』

このように語っておられます。家庭教会というものは。いかなる価値をもったものであったのかを我々はっきりと認識して、訓読家庭教会を作っていこうというのであります。