1章家庭教会のみ言

第1章 家庭教会の起源

皆さん、家庭教会と言う言葉は本来何処から始まるべきでしょうか。それは、本来、エデンの園から始まらなければなりません。皆さん、教会と言えば宗教ですが、宗教は神様をおいては語ることができません。

家庭教会という言葉は、本来エデンの園から始まりました。「教会(church)」というと宗数といいますが、宗教は、神様をぬきにして語る事はできません。

「宗教」を韓国・東洋語で解択すると家の梁になるといいます。全ての教えは原理的、原則的で中心となる教えであるという意味です。家で言えば、家の梁のことです。大梁の事を言います。そうなので、神様を除けば全て宇宙が崩れていくようになります。宗教というものは、新しい宇宙の家を建てるための摂理の基盤とみるので、土台を築き、柱を立てて、全てのことを備えたとしても、梁を造らなければ、全てのことが成り立ちません。家庭教会は、本来その起源は、エデンの園で堕落しないで神様を中心として、アダム家庭が完全に愛によって一つになるところを意味することだったというのは間違いありません。

そして、家庭教会が始まって家庭氏族教会、家庭国家教会(home nation church)に発展して、一つの世界としての教会を拡張した世界形態の家庭理想を備えた一つの世界となることだったということが、原理で教えている世界観です。

このようなわけで今日、私たち統一教会が歴史上ではじめて“家庭数会”というこの主題を主張し、立てることができるという事実は、しごく神様の前にも、人間全体の前にも、とても重要なことだという事実を皆さんが知らなければなりません。本来、アダムとエバが堕落しなかったならば、一生の間、神様の愛の中で息子・娘を生んで生活し、その次に日常生活を終えて霊界に行くようになり、その次にその後孫達がそれに従い、またその後孫が従えば、その血統的後孫全部がアダム・エバを中心として天国に行くようになる予定でした。そのようになれば、アダムとエバが残す伝統、即ち、個人的な生活はこのようにしなければならないし、家庭生活と氏族生活はこのようにしなければならないという生き方の基準が伝統となり世界的に拡大されたのです。

しかし、それが残せませんでした。堕落によってそれが壊れてしまいました。落ちたために復帰するときには反対に復帰しなくてはなりません。アダム・エバが堕済して、カイン・アベル、息子・娘が堕落して、天使長が堕落したということです。

アダム・エバが堕落することによって全部がそのような結果になってしまったということです。それゆえに、神様が救いの摂理をされるのに、一度に全て成し遂げていたならば良かったけれども、既に救いの摂理の出発前にこの世界は、サタン世界になってしまったということです。