ホームチャーチ(家庭教会)運動の意義を考えるための参考資料として、UCから出版された「家庭教会」という冊子が参考になります。
その意義に関する御言を見る限り、この運動がとても重要な内容であるということがわかります。
・ホームチャーチなしに、天上天国に入る道はない
・ホームチャーチを通じなければ個体完成することができない。
・失われた万物を蕩減し、失われた愛と心情を蕩減し、失われた神の人格を蕩減する
以上のように家庭教会運動には重要な意義や価値があることはわかるのですが、この御言が発表された当時、「ホーム=家庭」ということから、内的な意味よりも単純に伝道の方法の変更、すなわち路傍伝道から地域の家庭を訪問して伝道するといった活動方法を変更したにすぎませんでした。
UC発祥の地、韓国では、もともと家族や親せきのつながりが深く、家庭単位で伝道されるケースが多かったのですが、日本の場合は、駅前や繁華街の人通りの多いところでの伝道活動が中心でありましたから、この家庭教会運動が始まると、活動舞台を各々の地域の住宅街に移したわけです。
ところが日中は不在の家が多く、直接人にあって対面で話せる機会が極端に減ったことから伝道実績が落ちこむことになりました。
これによって、日本の使命として指示されていた人材の確保や経済的貢献が上手くいかくなり、結局、家庭訪問活動は1年も続かずに、元の路傍での伝道にシフトしなおしたのでした。
しかし、今、改めて先生のホームチャーチ摂理に関する御言をみると、そのような外的活動をするような支持や説明よりも、もっと内的な問題に触れておられたことがわかります。この摂理の捉え方がそもそも根本的な誤りだったことがわかります。
では一体この摂理はどのように見るべきだったのでしょうか?